池田蕉園(読み)いけだしょうえん

精選版 日本国語大辞典 「池田蕉園」の意味・読み・例文・類語

いけだ‐しょうえん【池田蕉園】

  1. 日本画家。輝方の妻。旧姓榊原本名百合子。水野年方川合玉堂に学び、美人画をよくした。明治二一~大正六年(一八八八‐一九一七

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20世紀日本人名事典 「池田蕉園」の解説

池田 蕉園
イケダ ショウエン

明治・大正期の日本画家



生年
明治19(1886)年5月13日

没年
大正6(1917)年12月1日

出生地
東京・神田雉子町

本名
池田 百合子

旧姓(旧名)
榊原

経歴
明治34年水野年方に入門し、年方の没後、42年頃川合玉堂に師事鈴木華邨の指導も受けた。36年烏合会会員となり、39年美術研精会で「わが鳩」が研精賞牌を受賞文展では40〜43年と大正4年に3等賞、5年「こぞのけふ」で特選元年と3年には褒状を受けた。明治44年年方同門の池田輝方と結婚。また39年より「女学世界」に挿絵を描き、この他「女鑑」「少女世界」や泉鏡花の「柳筥」「白鷺」の口絵、徳田秋声「誘惑」の挿絵なども手がけた。浮世絵系統をひく美人画をよくし、西の松園(上村松園)、東の蕉園といわれるほど一世を風靡した。代表作に「桃の酔ひ」「さつき」「七夕」など。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

朝日日本歴史人物事典 「池田蕉園」の解説

池田蕉園

没年:大正6.12.1(1917)
生年:明治19.5.13(1886)
明治時代,文展を中心に活躍した画家。東京神田雉子町生まれ。旧姓榊原,名は百合子。明治34(1901)年水野年方に入門。36年吉川霊華らと共に烏合会会員となり,39年美術研精会で「わが鳩」が研精賞牌を受賞。40年の第1回文展に「もの詣」を出品し3等賞を受賞して以来,10回まで毎回文展に出品し,7回展を除いて受賞を続けた。特に第10回展の「こぞのけふ」は特選となり,上村松園と並ぶ「閨秀美人画家」として知られる。44年同門の池田輝方と結婚,39年より『女学世界』『女鑑』『少女世界』『少女画報』などに挿絵を描いた。肋膜炎で没す。

(安村敏信)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

日本大百科全書(ニッポニカ) 「池田蕉園」の意味・わかりやすい解説

池田蕉園
いけだしょうえん
(1885―1917)

明治・大正の女流日本画家。本名百合子。旧姓榊原(さかきばら)。東京生まれ。水野年方(としかた)に師事して、同門の池田輝方(てるかた)と結婚した。年方の没後、川合玉堂(ぎょくどう)にも学んだ。浮世絵の系統を引く美人画をよくし、浪漫(ろうまん)的な作風により、西の松園(しょうえん)(上村(うえむら)松園)に対して東の蕉園ともてはやされた。第1回文展の『もの詣(もう)で』で三等賞を受賞、以後第10回まで毎回出品、第7回展を除いて受賞を続けたが、惜しくも早世した。代表作に『さつき』(東京国立近代美術館)、『宴のひま』がある。

[小林 忠]

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「池田蕉園」の解説

池田蕉園 いけだ-しょうえん

1886-1917 明治-大正時代の日本画家。
明治19年5月13日生まれ。池田輝方(てるかた)の妻。水野年方(としかた),川合玉堂(かわい-ぎょくどう)にまなぶ。明治36年吉川霊華(きっかわ-れいか)らとともに烏合(うごう)会会員となる。40年から文展で受賞をかさねる。美人画にすぐれ,挿絵も手がけた。大正6年12月1日死去。32歳。東京出身。旧姓は榊原。本名は百合子。作品に「こぞのけふ」「桃の酔」「宴の暇」など。

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367日誕生日大事典 「池田蕉園」の解説

池田 蕉園 (いけだ しょうえん)

生年月日:1886年5月13日
明治時代;大正時代の日本画家
1917年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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