百科事典マイペディア 「水野年方」の意味・わかりやすい解説
水野年方【みずのとしかた】
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出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
日本画家。東京に生まれる。通称粂次郎(くめじろう)。浮世絵歌川(うたがわ)派の月岡(つきおか)(大蘇(たいそ))芳年(よしとし)に錦絵(にしきえ)、渡辺省亭(しょうてい)に花鳥画を学ぶ。明治期風俗版画の代表的作者で、かたわら『やまと新聞』『文章世界』などに口絵や挿絵を描き、福地桜痴(ふくちおうち)の『天竺徳兵衛(てんじくとくべえ)』、樋口一葉(ひぐちいちよう)『うもれ木』などの挿絵も手がけた。日本美術協会、青年絵画協会のほか、1898年(明治31)には日本画会評議員となり、同年の日本美術院創立には賛助会員として参加した。歴史画をよくし、代表作に『佐藤忠信参館図(ただのぶさんかんず)』『勾当内侍(こうとうのないし)』などがある。門下から鏑木清方(かぶらききよかた)、池田輝方(てるかた)、池田蕉園(しょうえん)ら風俗・美人画の名手が輩出した。
[二階堂充]
(佐藤道信)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報
出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報
…このように,幕末の歌川派は,実力と人気において役者絵,美人画,武者絵,風景画と浮世絵界の代表的な分野を独占し,黄金時代を築いた。明治に入っても豊原国周(1835‐1900),月岡芳年がおり,芳年門下から水野年方(1866‐1908),鏑木(かぶらぎ)清方らが出るなど,その流れは現代まで続いている。【松木 寛】。…
…1831‐1901)。1891年,月岡芳年の高弟水野年方(1866‐1908)の門に入り,17歳ころから新聞挿絵を描いて知られ,尾崎紅葉,泉鏡花らに親しんだ。1901年大野静方,鰭崎英朋らと烏合会を結成し,浮世絵から本格的絵画への展開をはかり,09年《一葉女史の墓》を発表。…
※「水野年方」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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