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七夕 たなばた

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

七夕
たなばた

旧暦 7月7日の夜に,天の川(→銀河系)の両岸にある牽牛星(ひこぼし。わし座のα星アルタイル)と織女星(おりひめ。こと座のα星ベガ)が年に一度相会するという伝説に基づいて,星をまつる行事。

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デジタル大辞泉の解説

しち‐せき【七夕】

五節句の一。たなばた。→たなばた(七夕)

たな‐ばた【七夕/棚機/織女】

五節句の一。7月7日の行事。この夜、天の川の両側にある牽牛(けんぎゅう)星織女星が、年に一度会うといい、この星に女性が技芸の上達を祈ればかなえられるといって、奈良時代から貴族社会では星祭りをした。これは中国伝来の乞巧奠(きっこうでん)であるが、一方日本固有の習俗では、七日盆(盆初め)に当たり、水浴などの禊(みそぎ)をし、この両者が合体した行事になっている。たなばたまつり 秋》「―のなかうどなれや宵の月/貞徳

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百科事典マイペディアの解説

七夕【たなばた】

陰暦7月7日およびその日に行われる星祭の行事をいう。都会では陽暦7月7日に行う所が多く,月遅れの地方もある。中国の牽牛と織女の伝説が,日本固有の棚機女(たなばたつめ)(棚に設けられた機によって神の来臨を待ち,神とともに一夜を過ごす聖なる乙女(おとめ))の信仰と習合して成立したとされる。

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とっさの日本語便利帳の解説

七夕

陰暦七月七日の夜、天の川の東にある牽牛(けんぎゅう)星と西にある織女(しょくじょ)星が出逢うので、それを祭る行事が中国から伝わってきたもの。この夜、庭先に供え物をし、葉竹に五色の短冊をつけ、子女の学問・技芸の上達を願う行事をする。

出典|(株)朝日新聞出版発行「とっさの日本語便利帳」
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[日本酒・本格焼酎・泡盛]銘柄コレクションの解説

たなばた【七夕】

鹿児島の芋焼酎。酒名は、地元の伝統芸能「七夕踊り」にちなみ命名。地元の湧水と白麹を用いて仕込む。蒸留法は常圧蒸留。原料はコガネセンガン、米麹。アルコール度数25%。蔵元の「田崎酒造」は明治20年(1887)創業。所在地はいちき串木野市大里。

出典|講談社
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世界大百科事典 第2版の解説

たなばた【七夕】

旧暦の7月7日に行われる年中行事。中国を中心に,日本,朝鮮にも広がる。〈しちせき〉とも読まれる。7月7日を特別の祭日とする観念は,おそらく古い農耕儀礼に起源をもつのであろうが,文献資料にのこるものとしては後漢時代の崔寔(さいしよく)《四民月令》が最も古いものの一つである。そこには,この日に書物の虫干しをするほか,河鼓(かこ)(牽牛)と織女の二星が会合するのにあわせて,人々は願いごとをするという(牽牛・織女)。

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大辞林 第三版の解説

しちせき【七夕】

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

七夕
たなばた

7月7日あるいはその前夜の行事。本来は陰暦で行っていたが、現在は陽暦の7月7日に行う所が多い。東北地方などでは月遅れの8月7日に行っている。七夕は織女祭(しょくじょさい)、星祭(ほしまつり)などともいい、中国伝来の行事と、日本古来の伝承、さらに盆行事の一環としての行事など、さまざまな要素が入り混じって今日に伝承されている。
 歴史的にみると、奈良時代には宮中の行事として、この日中国伝来の乞巧奠(きこうでん)が行われている。桃、梨(なし)、茄子(なす)、瓜(うり)、大豆(だいず)、干鯛(ひだい)、薄鮑(うすあわび)などを清涼殿の東庭に供え、牽牛(けんぎゅう)・織女の二星を祀(まつ)ったという。『延喜式(えんぎしき)』には織部司(おりべのつかさ)の行事として7月7日に織女祭が行われたというが、いずれも宮廷や貴族の習俗であった。室町時代になると七夕に歌を供える風(ふう)が入り、7という数にあやかって、7種の遊びを行ったという。さらに江戸時代には武家の年中行事としても定着し、五節供の一つに定められている。笹竹(ささたけ)に五色の紙や糸を吊(つ)るして軒端に立てる風も江戸市中にみられ、今日に近い七夕風景になってきた。しかし同じく江戸時代より、長野県松本地方では、各家々の軒端に七夕人形といって、板の人形(ひとがた)に子供の着物を着せて吊るし、その年生まれた子供の無病息災を祈願している風がある。あるいは、小さな紙の人形を紐(ひも)に連ねて吊るしている所もあり、いまも盛んに行われている。同じ七夕行事であるが、農民層には貴族・武家階級とはまた異なった習俗を伝承しているのである。
 七夕の名称については、日本では古く神を迎え祀るのに、乙女が水辺の棚に設けた機屋(はたや)にこもり、神の降臨を待って一夜を過ごすという伝承があり、これから棚機女(たなばたつめ)、乙棚機(おとたなばた)、さらに「たなばた」とよぶようになったという折口信夫(おりくちしのぶ)の説がある。七夕には一夜水辺にこもって禊(みそぎ)を行い、翌朝送り神に託して穢(けがれ)を持ち去ってもらうものであったともいい、現に各地に伝承される水浴の習俗はその名残(なごり)であるという。七夕にはかならず洗髪をするとか、食器類を洗うものだという地域は広くある。あるいは、関東地方の北部では、人も家畜(牛馬)も水浴びをし、睡魔(すいま)を川に流す「眠り流し」ということを行っている。観光で有名になっている青森県弘前(ひろさき)地方のねぶた行事も七夕の日であり、ねぶたは「佞武多」という字をあてているが、眠りを追い払う行事である。秋の収穫作業を控え、仕事の妨げとなる睡魔、悪霊を追い払う行事だったのである。
 悪霊を祓(はら)うという思想は、水に流す、すなわち雨が降ることを願う習俗にもなっている。七夕には一粒でも雨が降ると豊作だ、反対に七夕に雨が降らぬと、牽牛と織女の二星が会って悪神が生まれ、疫病が流行するとか、作物のできが悪いという伝承もあって、中国伝来の星合せ伝説は日本の民俗のなかでは、禊の思想に包括されている。
 中国では、この日、牽牛星(わし座のα(アルファ)星アルタイル)と織女星(こと座のα星ベガ)の二星が、天の川を挟んで年に一度相会う日となっている。牽牛は農時を知る基準となり、織女はその名の示すように養蚕や裁縫をつかさどる星とされていた。陰暦7月の初めころは、この二星が北東から南西に横たわる天の川を挟んで、人々の頭上に明るく見えるところから、擬人化して二星の相会う伝説が生まれたものである。この伝説は、日本の口承文芸のなかにも数多く語られている。
 七夕の由来譚(たん)は、室町時代の『天稚彦物語(あめわかひこものがたり)』に、娘が大蛇と結婚する異類婚姻譚となって語られており、現に全国にすこしずつ語り口を変えて伝承されている。その骨子は天人女房の昔話である。
 天女が水浴びをしていると、若者がかいまみて、一人の天女の羽衣を隠してしまう。羽衣のない天女は天に帰ることができず男の妻となる。子供が生まれ、その子供の歌から羽衣が穀物倉に隠してあることを知り、天女は羽衣をつけ、子供を連れて天に飛び去ってしまう。天女は別れるとき、瓜の種を残してゆく。男はこの瓜のつるを登って天上へ行く。天帝の難題を天女の援助によって解決するが、禁じられていた瓜を縦に割ってしまい、瓜から流れた水が大洪水となり、男は流されてしまう。この川が天の川で、天女は流されてゆく男に、7日7日に会おうといったのに、男は7月7日と聞き違え、年に一度7月7日にしか会えないようになってしまった。
 七夕行事には、盆行事の一環としての要素も多い。この日盆道(ぼんみち)作りをするとか、盆の市(いち)が開かれるなどというもので、7月の満月の盆に対し、朔日(ついたち)との中間、7日ごろを目安として日を設定したもので、これに他の七夕の要素が複合して今日のような形式となったものであろう。中国伝来の乞巧奠は当初貴族に伝わり、それはこの日晴天を祈る星祭となり、乾燥文化圏の行事に属し、一方、日本古来の農神としての七夕は、民間に流布し盆行事とも結合して穢を祓う習俗となり、したがって雨天を望む湿潤文化圏の行事の要素をもっている。七夕はこの二つの複合習俗といえよう。[鎌田久子]

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世界大百科事典内の七夕の言及

【七夕】より

…虫干しにされるのは衣服だともされ,衣服に祖霊が依り付くという古くからの信仰と考えあわせ,7月7日が元来,農耕儀礼に結びついた祖霊祭の日であったことが推定される。七夕に占いや願いごとがなされることが多いのも,もともと農作物の収穫を占ったことに出たのであろう。後漢時代の画像石や石雕に見える牽牛・織女とが両者一対で宇宙論的な配置関係をもつことから,この時代にもなお七夕の伝承が重い信仰観念を背後にもっていたことが知られる。…

【ウリ(瓜)】より

…〈瓜子姫〉の昔話のような中空の果実から小童の誕生を説く話は,中空なものには霊が宿るという信仰に基づくものとみられている。〈天人女房〉の昔話には,天にのぼった男がウリを食べたり,ウリを横に切ってはいけないという妻の忠告を破ったために,ウリから大水がでて,二人は1年に1度だけしか会えなくなったと説く七夕起源譚(きげんたん)を伴うものがある。七夕にウリを供える風習は古代中国の《荆楚歳時記》にあり,中国から伝えられたと考えられる。…

【牽牛・織女】より

…星名は,牽牛がアルタイルAltair,織女がベガVega。この2神は,後には七夕(たなばた)の行事と結びついた恋愛譚の主人公となる。牽牛星と織女星とが並んで歌われる例はすでに《詩経》小雅・大東篇にみえるが,その背後にいかなる伝承があったのかはうかがいがたい。…

【数】より

…いまもし地下の方位にまで観念が及べば,当然7方になるはずであるが,こうした観念は古代の中国社会には存在しなかった。しかし,北アジアのシャマニズムでは9層の天のほかに7層の天を想定していたという議論もあり,七夕伝説や北斗七星信仰の存在と併せて7を聖数とみるむきもある。 以上,殷人に始まる空間の四分割,五分割ないし六分割の観念を通して,中国の古代人が4に特別な意味を付与している事実を指摘し,5,6,9などはそこから副次的に意味づけされた数と認め,だいたんにそれが聖数化していく過程を推論した。…

【ベガ】より

…この名の起源は古く,《小戴礼》(前漢,戴聖(たいせい)の撰)中の〈夏小正〉に記されている。和名の〈おりひめ〉〈たなばた〉〈めんたなばた〉などは,中国より伝来した七夕説話の影響とみなせる。もっとも〈棚機つ女(たなばたつめ)〉という固有の和名もあり,この名を織女星にあてた文化史的背景は深いと思える。…

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