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川合玉堂 かわい ぎょくどう

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美術人名辞典の解説

川合玉堂

日本画家。愛知県生。名は芳三郎。別号に偶庵。望月玉泉幸野楳嶺橋本雅邦に師事。日本の自然を詩情豊かに平明に描き続け、独自の画風を確立。横山大観竹内栖鳳と共に日本画壇の三巨匠。帝室技芸員帝国美術院会員。文化功労者文化勲章受章。昭和32年(1957)歿、83才。

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デジタル大辞泉の解説

かわい‐ぎょくどう〔かはひギヨクダウ〕【川合玉堂】

[1873~1957]日本画家。愛知の生まれ。本名、芳三郎。別号、偶庵。初め四条派、のち橋本雅邦に師事して狩野派を学び、詩情あふれる穏健な風景画に独自の画風を打ち立てた。文化勲章受章。作「彩雨」など。

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百科事典マイペディアの解説

川合玉堂【かわいぎょくどう】

日本画家。本名芳三郎。愛知県に生まれ,京都で幸野楳嶺四条派を,次いで東京で橋本雅邦狩野派を学ぶ。両派の伝統的画法に基づいて日本の温雅な自然を描き,1940年文化勲章。
→関連項目岐阜県美術館

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

川合玉堂 かわい-ぎょくどう

1873-1957 明治-昭和時代の日本画家。
明治6年11月24日生まれ。望月玉泉,幸野楳嶺(こうの-ばいれい),橋本雅邦にまなぶ。明治40年東京府勧業博覧会1等賞の「二日月」で注目をあび,四条派と狩野派を融和させた画境をひらく。文展審査員,東京美術学校(現東京芸大)教授をつとめる。帝国美術院会員。昭和15年文化勲章。昭和32年6月30日死去。83歳。愛知県出身。本名は芳三郎。別号に偶庵。作品はほかに「行く春」「彩雨」「月天心」など。

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世界大百科事典 第2版の解説

かわいぎょくどう【川合玉堂】

1873‐1957(明治6‐昭和32)
日本画家。愛知県木曾川町に生まれる。本名芳三郎。別号偶庵。1887年京都に出て望月玉泉,続いて幸野楳嶺に師事。その後,橋本雅邦の《竜虎図》に感動,96年上京してその門に入る。狩野派を学び,岡倉天心,雅邦を指導者とする日本絵画協会に出品し,しだいに注目される。1907年東京府勧業博覧会出品の《二日月》が好評を博し,第1回文展以降審査員となる。四条派の親しみやすい即物的作風と,狩野派の折り目正しい品格を合わせた画境を開き,第2次大戦前の日本のどこにでも見られる風景と生活を主題とした。

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大辞林 第三版の解説

かわいぎょくどう【川合玉堂】

1873~1957) 日本画家。愛知県生まれ。本名、芳三郎。京都で四条派を学び、のち上京して橋本雅邦に狩野派を学ぶ。さらに洋風の自然描写を身につけ、総合した独自の画風を完成。代表作「彩雨」

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

川合玉堂
かわいぎょくどう

[生]1873.11.24. 愛知,外割田
[没]1957.6.30. 東京,青梅
日本画家。本名は芳三郎。 1887年京都へ出て望月玉泉,幸野楳嶺円山四条派を学ぶ。初め玉舟と号し,のち玉堂に改号。 1896年上京して橋本雅邦の門人となり狩野派を習い,1898年雅邦に従って日本美術院の創立に参加。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

川合玉堂
かわいぎょくどう
(1873―1957)

日本画家。明治6年11月24日愛知県に生まれる。本名芳三郎。1887年(明治20)京都に出て望月玉泉(もちづきぎょくせん)に、ついで90年に幸野楳嶺(こうのばいれい)に師事して四条派を学んだ。この年、第3回内国勧業博覧会に出品して褒状を受け、日本青年絵画協会、日本美術協会などでも受賞した。95年、第4回内国勧業博覧会で橋本雅邦(がほう)の『竜虎図』に感動し、翌年上京してその門に入った。1907年(明治40)の東京勧業博覧会に『二日月』を出品して注目を集め、四条派と狩野(かのう)派を巧みに融和させたその表現は多くの追従者を生んだ。またこの年開設された文展の審査員にあげられ、以後官展で活躍することになり、とくに16年(大正5)の第10回文展に出品した『行く春』は、穏和な筆致で自然のたたずまいを情趣豊かにとらえ、その地歩を不動のものにした。15年から36年(昭和11)まで東京美術学校教授。また長流塾を開いて門下を育てた。17年に帝室技芸員、19年に帝国美術院会員、37年には帝国芸術院会員となり、40年文化勲章を受章した。歌もよくし、歌集『多摩の草屋』がある。昭和32年6月30日没。晩年を過ごした東京青梅(おうめ)市御岳(みたけ)の旧居は、玉堂美術館(1961創設)として公開されている。[原田 実]
『永井信一・難波専太郎解説『現代日本の美術1 下村観山/川合玉堂』(1976・集英社) ▽河北倫明編『現代の水墨画6 川合玉堂・川端龍子』(1983・講談社) ▽佐々木直比古他解説『川合玉堂写生帖 花鳥編・山水編』全2冊(1979・グラフィック社)』

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