日本大百科全書(ニッポニカ) 「沈鈞儒」の意味・わかりやすい解説
沈鈞儒
ちんきんじゅ / シェンチュンルー
(1873―1963)
中国の法律家。字(あざな)は衡山。浙江(せっこう/チョーチヤン)省出身。清(しん)末に進士の試験に合格後、日本に留学、孫文の中国同盟会に参加、法政大学を卒業して上海(シャンハイ)に帰り、弁護士を開業。「満州事変」以後、抗日救国運動の先頭にたち、1936年、いわゆる救国七君子事件の一人として国民政府に逮捕された。抗戦中は重慶(じゅうけい/チョンチン)にあって、張瀾(ちょうらん)らとともに中国民主同盟を結成して、第三勢力の結集を図り、1949年9月、北京(ペキン)での全国人民政治協商会議に参加、中華人民共和国成立と同時に最高人民法院院長に就任した。ついで1954年、第1期全国人民代表大会常務委員会副委員長、1959年、第2期でも再選され、現職のまま死去した。民主勢力の象徴として、その古風な長いひげの風貌(ふうぼう)とともに多くの人々に親しまれた。
[安藤彦太郎]