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沈鈞儒 しんきんじゅ

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百科事典マイペディアの解説

沈鈞儒【しんきんじゅ】

〈ちんきんじゅ〉とも。中国の政治家。浙江省の人。清末日本に留学。中国同盟会に入会。1928年弁護士となる。のち抗日救国運動を推進。1936年全国各界救国連合会を結成。

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世界大百科事典 第2版の解説

しんきんじゅ【沈鈞儒 Shěn Jūn rú】

1875‐1963
中国,現代の政治家。浙江省嘉興県人,字は衡山,清末の進士。日本の法政大学卒業。帰国後辛亥革命に参加した。五・四運動に共鳴して新道徳・新文化を提唱した。国民革命期には浙江省臨時政府政務委員となり,のち上海法科大学教務長となり,さらに弁護士を開業して上海弁護士会主席となった。1932年宋慶齢,魯迅らの中国民権保障同盟に参加,35年以来抗日救国運動の中心として活動,翌年抗日七君子の一人として逮捕された。44年民主同盟結成の中心となり,新中国成立後最高人民法院院長,人民代表大会常務委員会副委員長,民主同盟主席などを歴任した。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

沈鈞儒
ちんきんじゅ / シェンチュンルー
(1873―1963)

中国の法律家。字(あざな)は衡山。浙江(せっこう/チョーチヤン)省出身。清(しん)末に進士の試験に合格後、日本に留学、孫文の中国同盟会に参加、法政大学を卒業して上海(シャンハイ)に帰り、弁護士を開業。「満州事変」以後、抗日救国運動の先頭にたち、1936年、いわゆる救国七君子事件の一人として国民政府に逮捕された。抗戦中は重慶(じゅうけい/チョンチン)にあって、張瀾(ちょうらん)らとともに中国民主同盟を結成して、第三勢力の結集を図り、1949年9月、北京(ペキン)での全国人民政治協商会議に参加、中華人民共和国成立と同時に最高人民法院院長に就任した。ついで1954年、第1期全国人民代表大会常務委員会副委員長、1959年、第2期でも再選され、現職のまま死去した。民主勢力の象徴として、その古風な長いひげの風貌(ふうぼう)とともに多くの人々に親しまれた。[安藤彦太郎]

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