改訂新版 世界大百科事典 「中国民主同盟」の意味・わかりやすい解説
中国民主同盟 (ちゅうごくみんしゅどうめい)
Zhōng guó mín zhǔ tóng méng
元来は中国で国民党,共産党に対抗するために結成された第三勢力による民主団体。その前身は抗戦建国同志会。それは第三党,中国青年党,国家社会党,救国会派,職業教育派,郷村建設派の3党3派の幹部が,1939-40年,憲政運動の促進と各党派の意見調整をはかり,同時に抗日民族統一戦線の強化のために結成したものである。しかし41年,国民党と共産党の対立激化による民族の危機と,彼らに加えられる国民党反動派のファッショ的弾圧に対処し,団結するため,重慶に中国民主政団同盟を組織した。参加は政団を単位とし,個人有志を加え,《光明報》を機関紙とした。
さらに44年9月,連合国の勝利が決定的となり,国民政府が憲政時期を約束すると,政団同盟という形式は,参加政団の思惑に左右されて,独自の活動ができないこと,また勢力の拡張にも不便だということで,加盟を個人参加に切りかえ名称を再び民主同盟(民盟)と改称し,主席に張瀾を指名した。以来各階級の民主分子が多数参加した。例えば郭沫若や胡風など左派系分子の名が見られ,北京,成都,昆明などに支部を設定して党勢を拡大したが,この段階で反共の青年党員,国家社会党員は大部分脱落した。
ところで46年1月,国民政府の主催で,各党派を召集して開催した政治協商会議の決定〈内戦の即時停止〉〈政府の改組〉〈軍隊の整理再編〉〈国民大会の召集〉など諸問題をめぐり,国民党と共産党および民盟の対立が激化し,国民党の民盟に対する暴力行為,脅迫事件があいつぎ,ついには不法にも武力をもってそれを閉鎖するに至った。こうして民盟は必然的に中共と密接に提携し,国民党支配地区の地下工作を担当し,国民政府の台湾追放に貢献した。49年9月,中華人民共和国が成立すると,張瀾は国家副主席,黄炎培,章伯鈞,史良,胡愈之など多くの有力幹部は,その功績を買われ政務院の部長,中央政府各種委員など要職に挙げられた。
執筆者:菊池 貴晴
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報