沖館村(読み)おきだてむら

日本歴史地名大系 「沖館村」の解説

沖館村
おきだてむら

[現在地名]平賀町沖館

阿蘇あそヶ岳から西北方へ走る舌状丘陵の丘尾台地上にあり、村内を薬師堂やくしどう(現弘前市)山間より北流するしん堰が流れ、沖館川からの水も集めて用水路となる。

天文年間(一五三二―五五)津軽郡中名字に「奥館おきたて」とある。この辺りは安東氏内乱や南北朝の動乱の際の古戦場と思われるが、天正年間(一五七三―九二)大浦(津軽)為信の津軽統一の際も激戦地であった。神明宮境内にある沖館観音堂に天正四年為信が自筆の十一面観音絵像を奉納したという。天正二年八月為信は大光寺だいこうじ城を攻めて失敗、危うく危機を脱した。そのため観音堂に戦勝祈願し、翌三年正月元旦未明ついに大光寺城は落城した。観音堂別当が書いた「貴峰院由精記」に「天正二年九月二十日、為信公、観音堂に御願書を奉り一百日の御心願被為次年正月二日、御満願之趣」とあり、宝殿・拝殿神器武具・高三〇石などを与えたという。


沖館村
おきのたてむら

[現在地名]笹神村沖之館おきのたて

船居ふない村の南西に位置する。古くはこの地一帯を山浦沖やまうらおきと称したが、文亀年間(一五〇一―〇四)上杉氏の臣千坂清胤が鉢盛山はちもりやま城主としてこの地を領していた時、水原すいばら(現水原町)方面への商人を取調べるために館を置いたため、沖館と称するようになったといい(神山村郷土略史)、慶長年間(一五九六―一六一五)如法寺によほうじ(現三条市)から移住した太兵衛が、この地を開墾したと伝える。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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