出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
中国、唐末の群雄の一人。五代後唐(こうとう)の建国者李存勗(りそんきょく)はその長子。廟号(びょうごう)は太祖。突厥沙陀(とっけつさだ)族の出身で本姓は朱邪(しゅや)氏であったが、父の朱邪赤心が戦功によって唐朝から李国昌(こくしょう)の姓名を賜り、振武節度使(治所は山西省朔(さく)県)となった。北辺の武将に成長した李克用は、勇猛にして片方の目が小さかったため独眼竜と称され、また彼の率いる精鋭軍は黒衣を着ていたので鵶(あ)軍(鵶はカラス)とよばれて恐れられた。黄巣(こうそう)反乱軍が首都長安を占拠すると、唐朝の招請に応じて黄巣軍を連破し、長安回復の功績第一をもって、883年河東節度使(治所は山西省太原)を授けられ、のちには晋(しん)王の爵位も受け、大勢力をもつに至った。しかし群雄割拠のおり、とくに宣武節度使朱全忠とは宿敵の間柄となり、20余年にわたって激しく抗争したが、晩年には朱全忠軍に一時太原(たいげん)が包囲されるなど、まったくの劣勢に追い込まれるなかで、後事を李存勗に託して病没した。
[高橋継男]
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
出典 旺文社世界史事典 三訂版旺文社世界史事典 三訂版について 情報
出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報
…唐を滅ぼし五代最初の後梁朝をたてた朱全忠は,黄巣軍の中心的部将であり,唐側に投降してその恩賞として節度使に任ぜられた。五代第2の後唐の事実上の建国者李克用も,異民族部隊の長として黄巣の乱平定に活躍し,その功で節度使に任ぜられたものである。唐を実質的滅亡に追いこんだ黄巣の乱とその後の争乱のなかから身を起こした群盗,流賊,軍賊,土豪,そして異民族出身者など,まったく新しい階層の出身者が五代十国の各政権の担い手となる。…
…923‐936年。突厥(とつくつ)沙陀部出身で唐朝から李姓を賜った家系の李克用は,黄巣の乱平定に大功があり,河東節度使,晋王となった。彼は朱全忠(後梁太祖)と激しく覇を争ったが,その子李存勗(りそんきよく)(荘宗)はついに後梁を滅ぼし,洛陽を都として後唐を樹立した。…
※「李克用」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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