洞松寺(読み)とうしようじ

日本歴史地名大系 「洞松寺」の解説

洞松寺
とうしようじ

[現在地名]矢掛町横谷

横谷よこだに南方遥照ようしよう山から東方に延びる尾根の北麓にある。舟木山と号し曹洞宗本尊釈迦如来。寺蔵の由緒書によれば、天智天皇の時代に奈良興福寺の光照菩薩を請来して堂宇建立、法相宗洞松司院と称したのが草創で、のち和気氏が伽藍を造営し三六坊を有する大寺となり、元暦年中(一一八四―八五)安徳天皇水島みずしま(現倉敷市)に臨幸したときに舟材を献じ、舟木山の山号を賜ったという。一説には曜星山(遥照山)の四方の谷に慈覚大師が開いた曜星千坊のうちの北谷の一坊であったともいわれる(備中誌)。草創については必ずしも明らかではないが、その後寺運衰退し荒廃したといい、応永年中(一三九四―一四二八)遠江国の曹洞宗大洞だいどう(現静岡県周智郡森町)の恕仲天の高弟喜山性讃が、恕仲を開山とし、自らは第二世となって中興、このときに現宗派に改めた。喜山没後も三世茂林・四世霊岳と続き寺運隆盛であったという(前掲由緒書)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報