日本歴史地名大系 「津堅村」の解説
津堅村
ちきんむら
「球陽」附巻尚寧王二七年(一六一五)条によれば、全興盛(俗名津堅盛則)は馬術に秀で、薩摩の島津義弘(惟新公)にも認められたその名声におごって津堅島の領有を欲した。法司毛鳳朝(読谷山盛韶)は古来一島を専領する者はいないとしてこの要求を却下、これを恨んだ興盛は乙卯の年(一六一五年)に至り鳳朝とその長子毛振を讒訴したという。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
「球陽」附巻尚寧王二七年(一六一五)条によれば、全興盛(俗名津堅盛則)は馬術に秀で、薩摩の島津義弘(惟新公)にも認められたその名声におごって津堅島の領有を欲した。法司毛鳳朝(読谷山盛韶)は古来一島を専領する者はいないとしてこの要求を却下、これを恨んだ興盛は乙卯の年(一六一五年)に至り鳳朝とその長子毛振を讒訴したという。
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