津村紀三子(読み)ツムラ キミコ

新撰 芸能人物事典 明治~平成 「津村紀三子」の解説

津村 紀三子
ツムラ キミコ


職業
能楽師

本名
大内 しげ

別名
号=紅鶴

生年月日
明治35年 8月16日

出生地
東京

経歴
幼少時から姉の静に従って小鼓や謡曲を学ぶ。長じて観世流能楽師の観世華雪に入門し、能の九番習や重習曲などを伝授された。その頃、女性が能を演じるのは許されていなかったが、18歳の時に朝鮮・京城の日報ホールで「羽衣」を初演し、女性能楽師の草分けとなった。また、多くの門弟をとり、観世流の能のみならず福王流のワキ方や太鼓・小鼓を学ばせるなど、一門演能できる体制を確立。昭和13年には能の装束を用いない袴能で「安宅」を上演。これが評判となり、女性では初めてとなる観世流シテ方師範の免状を受けた。16年観世流師範・大内正美と結婚。戦後は長期に渡って闘病生活を送るが、その間に「かぐや姫」をはじめとする多くの新作能を作った。その芸は本格厳守と評され、気迫の籠もった声で観衆を魅了した。

没年月日
昭和49年 4月12日 (1974年)

家族
兄=津村 京村(劇作家),姉=津村 静(謡曲師範),津村 青芽(日本画家),夫=大内 正美(能楽師)

伝記
かくもみごとな日本人 林 望 著(発行元 光文社 ’09発行)

出典 日外アソシエーツ「新撰 芸能人物事典 明治~平成」(2010年刊)新撰 芸能人物事典 明治~平成について 情報

20世紀日本人名事典 「津村紀三子」の解説

津村 紀三子
ツムラ キミコ

大正・昭和期の能楽師



生年
明治35(1902)年8月16日

没年
昭和49(1974)年4月12日

出生地
東京

本名
大内 しげ

別名
号=紅鶴

経歴
幼少時から姉の静に従って小鼓や謡曲を学ぶ。長じて観世流能楽師の観世華雪に入門し、能の九番習や重習曲などを伝授された。その頃、女性が能を演じるのは許されていなかったが、18歳の時に朝鮮・京城の日報ホールで「羽衣」を初演し、女性能楽師の草分けとなった。また、多くの門弟をとり、観世流の能のみならず福王流のワキ方や太鼓・小鼓を学ばせるなど、一門で演能できる体制を確立。昭和13年には能の装束を用いない袴能で「安宅」を上演。これが評判となり、女性では初めてとなる観世流シテ方師範の免状を受けた。16年観世流師範・大内正美と結婚。戦後は長期に渡って闘病生活を送るが、その間に「かぐや姫」をはじめとする多くの新作能を作った。その芸は本格厳守と評され、気迫の籠もった声で観衆を魅了した。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「津村紀三子」の解説

津村紀三子 つむら-きみこ

1902-1974 大正-昭和時代の能楽師シテ方。
明治35年8月16日生まれ。観世華雪に師事。当時女性の演能はゆるされなかったが,大正10年朝鮮京城で「羽衣(はごろも)」「菊慈童」などを演じた。昭和13年観世流シテ方の女性師範第1号となる。16年観世流師範大内正美と結婚。昭和49年4月12日死去。71歳。東京出身。本名はしげ。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

367日誕生日大事典 「津村紀三子」の解説

津村 紀三子 (つむら きみこ)

生年月日:1902年8月16日
大正時代;昭和時代の能楽師シテ方
1974年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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