観世華雪(読み)カンゼカセツ

デジタル大辞泉 「観世華雪」の意味・読み・例文・類語

かんぜ‐かせつ〔クワンゼクワセツ〕【観世華雪】

[1884~1959]能楽師シテ方観世流東京の生まれ。本名織雄おりお分家の5世銕之丞てつのじょう(号、紅雪)の子で、6世を襲名。のち華雪と改名義兄梅若万三郎らと梅若流を創立したが、のちに復帰

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精選版 日本国語大辞典 「観世華雪」の意味・読み・例文・類語

かんぜ‐かせつ【観世華雪】

  1. 能楽師。観世流シテ方。分家銕之丞家(てつのじょうけ)。五世銕之丞(紅雪)の子。幼名、織雄。六世銕之丞となり、宗家二五世元正の後見役をつとめた。三番目・四番目物を得意とした。東京音楽学校講師。芸術院会員。明治一七~昭和三四年(一八八四‐一九五九

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新撰 芸能人物事典 明治~平成 「観世華雪」の解説

観世 華雪
カンゼ カセツ


職業
能楽師(観世流シテ方)

肩書
観世流分家銕之丞家6代目 日本芸術院会員〔昭和27年〕

別名
幼名=織雄,前名=観世 銕之丞(6代目)(カンゼ テツノジョウ),雅号=観世 清実(カンゼ キヨザネ)

生年月日
明治17年 11月14日

出生地
東京府浅草区(東京都 台東区)

経歴
5代目観世銕之丞紅雪の長男で、19歳で先代梅若実の二女と結婚。明治43年27歳で6代目銕之丞を継承。大正7年弟の織雄(茂)を養嗣子とする。10年梅若独立運動に参加したが、昭和4年観世流に戻り、14年観世左近亡き後、幼い宗家観世元正を助け後見職をつとめた。戦時中は「忠霊」「義経」「皇軍艦」など新作能の作曲、演出に当たり、流儀が絶えていた「求塚」を復曲した。昭和22年養嗣子の織雄に7代目を譲り、隠居して華雪と改名。温厚着実な人柄で能楽界の尊敬を集め、芸風も繊細で強靱、とくに晩年の芸格の高さをうたわれた。27年芸術院会員。32年より日本能楽会会員。著書に「観世華雪芸談」がある。

受賞
日本芸術院賞〔昭和26年〕

没年月日
昭和34年 1月6日 (1959年)

家族
父=観世 紅雪(5代目銕之丞),弟(養子)=観世 雅雪(7代目銕之丞)

親族
岳父=梅若 実(初代)

伝記
花は心―観世華雪 雅雪 寿夫 銕仙会 編(発行元 白水社 ’90発行)

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20世紀日本人名事典 「観世華雪」の解説

観世 華雪
カンゼ カセツ

昭和期の能楽師(観世流シテ方) 観世流分家銕之丞家6代目。



生年
明治17(1884)年11月14日

没年
昭和34(1959)年1月6日

出生地
東京府浅草区(東京都台東区)

別名
幼名=織雄,前名=観世 銕之丞(6代目)(カンゼ テツノジョウ),雅号=観世 清実(カンゼ キヨザネ)

主な受賞名〔年〕
日本芸術院賞〔昭和26年〕

経歴
5代目観世銕之丞紅雪の長男で、19歳で先代梅若実の二女と結婚。明治43年27歳で6代目銕之丞を継承。大正7年弟の織雄(茂)を養嗣子とする。10年梅若独立運動に参加したが、昭和4年観世流に戻り、14年観世左近亡き後、幼い宗家観世元正を助け後見職を務めた。戦時中は「忠霊」「義経」「皇軍艦」など新作能の作曲、演出に当たり、流儀が絶えていた「求塚」を復曲した。昭和22年養嗣子の織雄に7代目を譲り、隠居して華雪と改名。温厚着実な人柄で能楽界の尊敬を集め、芸風も繊細で強靱、とくに晩年の芸格の高さをうたわれた。27年芸術院会員。32年より日本能楽会会員。著書に「観世華雪芸談」がある。

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改訂新版 世界大百科事典 「観世華雪」の意味・わかりやすい解説

観世華雪 (かんぜかせつ)
生没年:1884-1959(明治17-昭和34)

能楽師,観世流のシテ方。東京生れ。観世宗家の分家である観世銕之丞(てつのじよう)家の6世。5世銕之丞紅雪(1843-1911)の長男。幼名織雄。1910年父の隠居後6世銕之丞清実(きよちか)となり,47年父の37回忌に弟で順養子の茂(織雄。現,雅雪)に家名を譲り,華雪と改名した。父紅雪および岳父初代梅若実,義兄初代梅若万三郎,2世梅若実に師事。21年,義兄2人とともに梅若流を樹立したが,29年決別して観世流に復帰。39年,24世宗家観世左近(1895-1939)急逝後は,25世観世元正(1930-90)の成人まで後見役をつとめた。温厚着実な人柄を反映して芸風は繊細でしかも強靱,とくに晩年は芸格の高さをうたわれた。三番目物,四番目物が得意。51年芸術院賞受賞。52年芸術院会員となる。
執筆者:

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百科事典マイペディア 「観世華雪」の意味・わかりやすい解説

観世華雪【かんぜかせつ】

能楽師。観世流シテ方。5世観世銕之丞(紅雪)の長男(銕之丞家は観世宗家の分家)。1910年6世観世銕之丞を継承。一時義兄の梅若万三郎梅若六郎(2世実)の梅若流樹立に参加。温雅で繊細な芸風の名人。甥の観世寿夫〔1925-1978〕,栄夫〔1927-2007〕,静夫(8世銕之丞〔1931-2000〕1995年人間国宝),25世観世左近(元正),観世元昭らを育成。1952年芸術院会員。7世銕之丞(雅雪)〔1898-1988〕は華雪の弟。2011年紫綬褒章受章(9世)。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「観世華雪」の意味・わかりやすい解説

観世華雪
かんぜかせつ

[生]1884.11.14. 東京
[没]1959.1.6. 東京
能楽師,観世流シテ方。5世観世銕之丞紅雪の長男。幼名織雄。 1901年父の隠居後,6世銕之丞を襲名。父の三十三回忌に,弟の茂に家督を譲り華雪と改名。 21年,義兄の梅若万三郎,六郎 (実) の梅若流樹立に加わり観世流を脱退したが,まもなく復帰。 25世宗家観世元正 (のちに左近) が成人するまで,家元後見をつとめて流儀を統一した。温厚,着実の芸風で,三番目,四番目物を得意とした。『求塚』を流儀に復活。日本芸術院会員。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「観世華雪」の解説

観世華雪 かんぜ-かせつ

1884-1959 明治-昭和時代の能楽師シテ方。
明治17年11月14日生まれ。5代観世銕之丞(てつのじょう)の長男。初代梅若実らに師事。明治43年6代銕之丞を襲名。大正10年初代梅若万三郎らとともに梅若流をたてたが,昭和4年観世流に復帰。宗家24代左近の没後,宗家25代元正の後見役をつとめた。22年隠居し華雪を名のる。典雅かつ強靭な芸風で知られる。芸術院会員。昭和34年1月6日死去。74歳。東京出身。本名は清実(きよちか)。

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367日誕生日大事典 「観世華雪」の解説

観世 華雪 (かんぜ かせつ)

生年月日:1884年11月14日
明治時代-昭和時代の能楽師(観世流シテ方)。観世流分家銕之丞家6代目
1959年没

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「観世華雪」の意味・わかりやすい解説

観世華雪
かんぜかせつ

観世銕之丞

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