日本大百科全書(ニッポニカ) 「流れ圜悟」の意味・わかりやすい解説
流れ圜悟
ながれえんご
日本では臨済を主とする禅宗僧侶(そうりょ)の書をとくに禅林墨蹟(ぼくせき)、略して墨蹟とよぶ習慣がある。流れ圜悟は、宋(そう)代禅林の巨匠圜悟克勤(こくごん)(1063―1135。四川(しせん)彭州(ほうしゅう)の人)が、弟子の虎丘紹隆(くきゅうじょうりゅう)に与えた印可(いんか)状の断簡で、現存墨蹟中最古のもの。圜悟の墨蹟はわび茶の創始者村田珠光(じゅこう)による掛け始めとして、古来、茶家の間に珍重愛玩(あいがん)されてきたものである。この全文は『圜悟佛果禅師語録(えんごぶっかぜんじごろく)』巻14に収録されており、かつてこの墨蹟の末尾に「宣和六年十二月中澣(ちゅうかん)佛果老僧克勤」の款識があり、圜悟62歳時の筆になることが判明する。所伝によると、本幅には、付属する古い桐箱(きりばこ)に入り薩摩(さつま)坊ノ津海岸に漂着したという奇譚(きたん)がある。それゆえ「流れ圜悟」の称がある。もと大徳寺大仙院、堺(さかい)祥雲寺に伝来したが、1804年(文化1)出雲(いずも)の松平不昧(ふまい)公が祥雲寺へ金子(きんす)1000両と年々扶持米(ふちまい)30俵とを贈ることを条件に掌中し、同家に襲蔵された。現在は東京国立博物館に保管されている。国宝。
[角井 博]