日本歴史地名大系 「浄善寺」の解説 浄善寺じようぜんじ 長崎県:北松浦郡小値賀町笛吹村浄善寺[現在地名]小値賀町笛吹郷端午山空天院と号し、天台宗。本尊は不動明王。延暦一五年(七九六)藤将軍近江公(右大臣藤宰相尚兼の孫)の開基による創建と伝え、同氏は宝亀五年(七七四)西海(さいかい)鎮護の勅命を受けて九州に赴き、松浦(まつら)・平戸を経て値賀(ちか)島に至り、小値賀島中村(なかむら)に築城したという。その長子が開山とされる教伝で、筑前御笠(みかさ)郡四王(しおう)寺(現福岡県宇美町)で得度、延暦寺で最澄から空天院の号を受けたと伝える(「浄善寺系図」前方村郷土誌)。 浄善寺じようぜんじ 和歌山県:海草郡下津町引尾村浄善寺[現在地名]下津町引尾宝遊山と号し、浄土真宗本願寺派。本尊は阿弥陀如来。加茂組寺社書上(下津町史)によれば、文明年中(一四六九―八七)引尾(ひきお)村の浅川若太夫が蓮如に法流を授かり了善と名乗り、六字名号と絵像を与えられたという。当寺には明応四年(一四九五)実如の裏書のある絵像があり、「興正寺門徒真光寺下、紀州海部郡仁義庄浅川 願主了善」とあり、蓮如ではなく、真光(しんこう)寺(現和歌山市)の取次で、興正(こうしよう)寺(現京都市下京区)の下で真宗に帰依したものと思われる。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by