日本歴史地名大系 「浄明寺」の解説
浄明寺
じようみようじ
浄明寺
じようみようじ
[現在地名]能代市檜山字檜山町
旧羽州街道に面する。真宗大谷派、善城山と号し、本尊は阿弥陀如来。
「善城山浄明寺由緒并世代記」・浄明寺系図(浄明寺蔵)によると、開基は西道。享禄三年(一五三〇)本堂建立。二世は安東昭季の弟成順、四世は安東実季の弟成就。口伝に、古城主兄弟分れの寺ともいわれた。成就は信長の石山本願寺攻めの時、籠城したという。五世浄法は慶長六年(一六〇一)本願寺が分裂して東本願寺が成立すると、教如に従い、同一一年本仏尊像と寺号、教如上人寿像・聖徳太子像などを得ている。翌一二年に教勢展開のため、能代に掛所と称する道場を開いたが、これが能代浄明寺の起りである。能代浄明寺は当寺からの独立を企て、以後しばしば争論が生じた。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報