明治初年に多量に発行された不換の政府紙幣(太政官(だじょうかん)札など)の整理と、殖産興業資金の供給を目的に、アメリカのナショナルバンク・アクト(国法銀行法)を範に1872年(明治5)11月に制定された国立銀行条例に基づいて設立された銀行。国立銀行は、(1)株式会社組織をとる、(2)資本金の60%を政府紙幣で出資、これを政府に納付して、同額の金札引換公債を受領し、同公債を抵当に国立銀行券を発行する、(3)資本金の40%を正貨で出資、銀行券の兌換(だかん)準備にあてる、(4)発券業務のほか、預金、貸出、為替(かわせ)などの通常の銀行業務を営む、ものとされた。このような国立銀行が設立されるにしたがって、政府紙幣は回収され、流通貨幣はすべて正貨兌換券となり、近代的貨幣制度が樹立されるとともに、殖産興業資金も安定的に供給されるものと期待された。しかし、国立銀行の設立は東京の第一国立銀行など4行にとどまり、政府紙幣の増発も続いたため、発行された国立銀行券はただちに兌換されるという事態が続き、各行とも営業困難に陥った。
たまたま秩禄(ちつろく)処分による大量の金禄公債が発行されることとなり、これを放置しておけば公債下落は必然的で社会問題化する懸念が大きかった。政府は1876年8月に国立銀行条例を改正し、銀行券の発行額を資本金の80%に引き上げ、その抵当公債として金禄公債証書を認め、かつ正貨兌換を政府紙幣兌換と改めた。政府が積極的に士族授産に銀行設立を勧奨したこともあり、1879年12月に国立銀行設立免許が停止されるまでに153の国立銀行が各地に設立された。しかし、1876年の条例改正で国立銀行券は事実上不換紙幣となり、西南戦争の軍費として政府紙幣が増発されたのと相まって、インフレーションを助長するに至った。
このため政府は紙幣整理に着手することとなり、1882年の日本銀行設立とともに銀行券の発行を同行のみに限定することとし、翌83年には国立銀行条例を再改正し、営業年限は開業日より20年、発行紙幣は営業年内に回収、以後は普通銀行に転換すべきものとした。この間に産業革命も達成され、金融制度の目覚ましい発展もあり、1899年2月までに122行の国立銀行が普通銀行に転換、残余は他行に吸収合併されるか解散した。国立銀行は日本最初の近代的な銀行として銀行制度発達の基礎をなすものであり、以後その多くのものが各地の銀行の中核的存在となった。なお今日でも、現存の銀行で国立銀行のときのナンバーを行名に残しているものもある。
[岡田和喜]
『加藤俊彦・大内力編『国立銀行の研究』(1963・勁草書房)』▽『明治財政史編纂会編『明治財政史13 銀行』復刊(1972・吉川弘文館)』
国立銀行条例にもとづき設立された最初の銀行。政府は政府紙幣の整理と殖産資金の供給をはかるため,アメリカの国法銀行制度national banking systemをモデルとして,1872年(明治5)11月15日国立銀行条例を制定した。そして国立銀行は,(1)株式会社組織を採用する,(2)資本金の6割を政府紙幣をもって政府に納入し,これと引換えに交付された公債証書を抵当として同額の銀行券を発行する,(3)資本金の4割を正貨をもって払い込み,兌換(だかん)準備にあてる,また,(4)発券業務のほか,預金・貸付け,為替など通常の銀行業務を営むものと定めた。73年6月の第一国立銀行(本店所在地東京)を最初として,第二(横浜),第四(新潟),第五(大阪)の4国立銀行が設立されたが,政府紙幣(太政官札等)増発のため,兌換銀行券の発行は失敗し,これらの国立銀行は資金不足から営業不振におちいった。政府は76年8月条例を改正し,銀行券の正貨兌換を通貨兌換に改め,かつ銀行券の発行額を資本金の8割に引き上げた。またその抵当公債には,秩禄処分により発行された金禄公債証書を認めた。この措置により77年,78年には国立銀行の設立は一種のブームを呈するに至ったので,政府は79年の京都の第百五十三国立銀行を最後として,その後の設立を禁止した。これら153行のうち,資本金200万円以上は第一,第十五の両国立銀行だけであり,大部分は資本金20万円未満の小銀行であった。ただ,これらの国立銀行は,全国各府県に設立され,しかも県都を中心に散在していたため,地方における商品生産や流通の発展に一定の役割を果たした。しかし,国立銀行券が不換紙幣と同質化し,インフレを助長するに至ったため,政府は紙幣整理に着手し,日本銀行設立(1882)と同時に銀行券の発行を日銀のみに限定することとし,83年には国立銀行条例を再改正し,国立銀行は開業後満20年の間に普通銀行に転換し,国立銀行券を漸次消却することを定めた。この結果,99年2月の第百五十三銀行を最後に国立銀行は姿を消した。122行が普通銀行に転換,8行が営業満期に解散,7行が満期前に閉店し,16行が他行に吸収合併されている。なお現在,国立銀行当時の商号の名残をとどめる銀行としては,第一勧業銀行(現,みずほ銀行)を別として,第四銀行,十六,十八,七十七,八十二,百五,百十四の各銀行がある。
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執筆者:杉山 和雄
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1872年(明治5)11月制定の国立銀行条例による銀行制度。アメリカのNational Bankを模範として,明治政府発行の不換紙幣の整理,兌換制度樹立,殖産興業資金の供給をめざした民間資本による銀行。規定がきびしいため,当初設立されたのは4行にとどまったうえ,この4行も官金出納事務を担当し,官公預金を資金源にしながらも,発行銀行券の兌換請求などのため極度の営業困難に陥った。営業不振を打開し,かつ巨額の金禄公債の価格維持のため,政府は76年8月に条例を改正,銀行券の正貨兌換を中止し,政府紙幣をもって引換準備とさせた。この結果,全国各地で設立出願が増加し,79年末までに153行の国立銀行が創立された。日本銀行の設立にともない,83年5月に国立銀行条例は三たび改正され,営業期間を開業後20カ年とし以後は普通銀行に転換すること,銀行券は漸次消却することとした。99年末までに大部分の国立銀行は普通銀行に転換し,普通銀行の枢要部を構成することとなった。
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…維新政府は対外対抗のために民間資本の結集を図り,会社制度の導入を推進した。すなわち,1869年(明治2)には通商会社・為替会社の設立を指導し,71年には渋沢栄一著《立会略則》,福地源一郎著《会社弁》を大蔵省から刊行して会社知識の普及を図り,72年には国立銀行条例を制定して国立銀行の設立を促した。通商会社・為替会社を最初の株式会社とする説があるが,出資者の無限責任,出資と預金の混同などの点でそうはいえない。…
…とくにソ連(ロシア)およびアメリカの銀行制度が重要である。
[ソ連・アメリカの銀行制度]
ソ連(ロシア)では,革命後急速に銀行国有化が推進され,1922年には銀行券の発行権限が全面的にロシア共和国国立銀行に集中された。同行は翌23年にゴスバンクと改称し,預金銀行業務をも管理するに至った。…
※「国立銀行」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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