淀井敏夫(読み)よどいとしお

百科事典マイペディア 「淀井敏夫」の意味・わかりやすい解説

淀井敏夫【よどいとしお】

彫刻家兵庫県生れ。東京美術学校(現,東京芸術大学)彫刻科卒業。1940年に大阪市立工芸学校(現,大阪市立工芸高校)の教諭を辞して上京,1948年に《老人胸像》を二科展に出品し,二科会特別賞を受賞以後は二科展などさまざまな美術展で活躍した。1965年に東京芸術大学教授となる。同大学名誉教授人物像・動物像などの彫刻を得意とし,心棒に石膏(せっこう)を直接つけて構成するという独自の作風を確立した。彫塑(ちょうそ)の《ローマ公園》で1976年度日本芸術院賞を受賞。1982年に日本芸術院会員となり,1994年に文化功労者,2001年に文化勲章受章した。なお,出身地である兵庫県朝来(あさご)市のあさご芸術の森美術館は,淀井敏夫記念館として運営されている。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「淀井敏夫」の意味・わかりやすい解説

淀井敏夫
よどいとしお

[生]1911.2.15. 兵庫,朝来
[没]2005.2.14. 東京,新宿
彫刻家。洗練された具象作品に特徴がある。 1931年東京美術学校在学中に,『男立像』で帝展に初入選し,1933年卒業。 1936年からは二科展に出品,1951年には二科会会員となる。 1972年第1回平櫛田中 (ひらぐしでんちゅう) 賞,翌 1973年『砂とロバと少年』で二科展内閣総理大臣賞,1977年『ローマの公園』で日本芸術院賞を受賞。 1982年日本芸術院会員となり,1998年二科会理事長に就任。 1994年文化功労者に選ばれ,2001年文化勲章を受章。母校でおよそ 25年にわたって教鞭をとり,1965年に東京芸術大学教授,1973年に同大学美術部長に就任,1978年の退官後は名誉教授となった。 1999年故郷の兵庫県朝来町にあさご芸術の森美術館・淀井敏夫記念館が開館

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「淀井敏夫」の解説

淀井敏夫 よどい-としお

1911-2005 昭和-平成時代の彫刻家。
明治44年2月15日生まれ。昭和11年二科展に出品,26年二科会会員。47年平櫛田中(ひらぐし-でんちゅう)賞。52年「ローマの公園」で芸術院賞を受賞し,57年芸術院会員。40年母校東京芸大の教授。平成6年文化功労者。13年文化勲章。人物像のほか海や鳥をモチーフとした具象彫刻を制作。平成17年2月14日死去。93歳。兵庫県出身。作品はほかに「聖マントヒヒ」など。

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