深大寺(寺)(読み)じんだいじ

日本大百科全書(ニッポニカ) 「深大寺(寺)」の意味・わかりやすい解説

深大寺(寺)
じんだいじ

東京都調布市深大寺元町にある天台宗の寺。浮岳山(ふがくさん)昌楽院(しょうらくいん)と号する。本尊は恵心僧都(えしんそうず)(源信)作と伝える阿弥陀如来(あみだにょらい)。寺名は、湧水(わきみず)の豊かなこの地に祀(まつ)られた水神深沙(じんじゃ)大王にちなむという。733年(天平5)満功(まんくう)の開創と伝えられ、初めは法相(ほっそう)宗に属したが、貞観(じょうがん)年間(859~877)に大楽(だいらく)大師恵亮(えりょう)が再興して天台宗に改宗。991年(正暦2)、元三(がんさん)大師(慈恵(じえ)大師、良源)が人々を救いたいという大願により自刻像をつくり、高弟慈忍和尚(じにんおしょう)と恵心僧都が東国を導くためその尊像を深大寺に移して祀り、以後関東第一の密教道場として大いに栄えた。室町時代、北条氏の家臣世田谷の吉良(きら)氏の信仰を受けて再興。1590年(天正18)北条氏の滅亡によって衰微したが、江戸時代になって徳川家康の守護不入朱印状(ふにゅうしゅいんじょう)によって保護され、寺領50石の寄進を受けて再建された。寺宝の銅造釈迦如来(しゃかにょらい)倚像(いぞう)は関東で数少ない白鳳(はくほう)時代(645~710)の古仏、また梵鐘(ぼんしょう)は永和(えいわ)2年(1376)の刻銘があるもので、いずれも国重要文化財。なお、名物深大寺そばは江戸時代には門前で栽培され将軍家に献上された。境内には本堂、元三大師堂、深沙大王堂などがあり、雑木林に覆われており、高浜虚子像ほか文学碑も多い。例年3月3・4日は元三大師大祭で、厄除(やくよ)け・諸願成就の大護摩(ごま)供養が行われる。当日は七転八起(ななころびやおき)の縁起だるま市があり、参詣(さんけい)者でにぎわう。

[中山清田]

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

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