日本大百科全書(ニッポニカ) 「深見十左衛門」の意味・わかりやすい解説
深見十左衛門
ふかみじゅうざえもん
(?―1730)
江戸前期の侠客(きょうかく)。本姓深溝氏。初め十蔵、名は貞国。藤堂(とうどう)家浪人ともいう。寛文(かんぶん)(1661~73)ごろより江戸市中の男達(おとこだて)の頭目となる。風流も解し、延宝(えんぽう)(1673~81)ごろ江戸へ下った西山宗因(そういん)に入門し、「名月や来て見よかしの額際(ひたいぎわ)」の句をつくった。十左衛門の抜き上げた額を詠んだもの。天和(てんな)(1681~84)ごろ隠岐(おき)に流謫(るたく)され、宝永(ほうえい)年中(1704~11)赦免された。剃髪(ていはつ)して自休(じきゅう)と称した。「髭(ひげ)の十(じゅう)」ともよばれ、歌舞伎(かぶき)狂言『助六(すけろく)』の「髭の意休」のモデルとされた。享保(きょうほう)15年3月18日没。年90または95という。江戸駒込(こまごめ)片町(東京都文京区本駒込)の龍光(りゅうこう)寺に葬る。墓碑に一応院心渓自休菴主墓とある。
[比留間尚]