添田寿一(読み)ソエダ ジュイチ

新訂 政治家人名事典 明治~昭和 「添田寿一」の解説

添田 寿一
ソエダ ジュイチ


肩書
貴院議員(勅選),日本興業銀行総裁,大蔵次官,報知新聞社社長

生年月日
元治1年8月15日(1864年)

出生地
筑前国遠賀郡島門村(福岡県)

学歴
東京大学政治学理財学科〔明治17年〕卒

学位
法学博士〔明治32年〕

経歴
明治17年大蔵省主税局御用掛となり、旧藩主黒田長成に従って渡欧ケンブリッジ大学ハイデルベルク大学に学ぶ。20年帰国し、大蔵省主税官、参事官、大臣秘書官、書記官、監督局長などを経て、31年大蔵次官となる。この間、早大専修学校、学習院、高等商業学校、東大などで経済学の講義を担当した。32年台湾銀行頭取となり、35年日本興業銀行総裁に就任大正2年総裁辞任後、中外商業新報社長に就任、4年鉄道院総裁となった。のち報知新聞社長、同社顧問を経て、14年〜昭和4年勅選貴院議員を務めた。この間、財政、経済、労働、社会政策など多方面にわたって指導的役割を果たしたが、特に金本位制実施や台銀、興銀、日仏銀行の創立、発展などに功績があった。

没年月日
昭和4年7月4日

出典 日外アソシエーツ「新訂 政治家人名事典 明治~昭和」(2003年刊)新訂 政治家人名事典 明治~昭和について 情報

20世紀日本人名事典 「添田寿一」の解説

添田 寿一
ソエダ ジュイチ

明治〜昭和期の銀行家,大蔵官僚 日本興業銀行総裁;大蔵次官;報知新聞社社長;貴院議員(勅選)。



生年
元治1年8月15日(1864年)

没年
昭和4(1929)年7月4日

出生地
筑前国遠賀郡島門村(福岡県)

学歴〔年〕
東京大学政治学理財学科〔明治17年〕卒

学位〔年〕
法学博士〔明治32年〕

経歴
明治17年大蔵省主税局御用掛となり、旧藩主黒田長成に従って渡欧、ケンブリッジ大学、ハイデルベルク大学に学ぶ。20年帰国し、大蔵省主税官、参事官、大臣秘書官、書記官、監督局長などを経て、31年大蔵次官となる。この間、早大、専修学校、学習院、高等商業学校、東大などで経済学の講義を担当した。32年台湾銀行頭取となり、35年日本興業銀行総裁に就任。大正2年総裁辞任後、中外商業新報社長に就任、4年鉄道院総裁となった。のち報知新聞社長、同社顧問を経て、14年〜昭和4年勅選貴院議員を務めた。この間、財政、経済、労働、社会政策など多方面にわたって指導的役割を果たしたが、特に金本位制実施や台銀、興銀、日仏銀行の創立、発展などに功績があった。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「添田寿一」の意味・わかりやすい解説

添田寿一
そえだじゅいち
(1864―1929)

明治・大正期の大蔵官僚、銀行家。元治(げんじ)1年8月16日筑前(ちくぜん)国(福岡県)に生まれる。1884年(明治17)東京大学政治学理財学科卒業後、大蔵省入りし、3年間自費でイギリス、ドイツ留学。帰国後銀行制度の確立に尽力、大蔵省監督局長、次官を歴任し1898年に退官。翌年台湾銀行頭取となり、ついで日本興業銀行(現みずほ銀行、みずほコーポレート銀行)が新設されると初代総裁として1913年(大正2)まで在職。のち、鉄道院総裁、中外(ちゅうがい)商業新聞社・報知新聞社社長となる。また労働者保護法の必要を説き、友愛会の顧問になるなど幅広い活動をし、多方面にわたる啓蒙(けいもう)的な著作もある。1926年貴族院勅選議員となる。昭和4年7月4日没。

[大森とく子]

『広渡四郎著『添田寿一君小伝』(1924・実業同志会)』


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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「添田寿一」の意味・わかりやすい解説

添田寿一
そえだじゅいち

[生]1864.8.15. 筑前
[没]1929.7.4. 東京
明治・大正の官僚,財政経済学者。 1884年東京大学政治学科・理財学科卒業,同年大蔵省に入省。 84~87年イギリス,ドイツに留学,ケンブリッジ大学で A.マーシャルに師事。帰国後,90年創刊の"Economic Journal"の日本通信員となる。 87年大蔵省主税官,93年貨幣制度調査会に政府委員として参加し金本位制度導入を主張。 96,98年には第1回,第3回農商工高等会議で工場法導入の要を説いた。 98年大蔵次官。 99年台湾銀行頭取,1902年日本興業銀行総裁,15年鉄道院総裁などをつとめ,25年貴族院議員。 23年武藤山治が主唱した実業同志会の運動に参加,鈴木文治を助けて友愛会の創立にも尽力した。

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朝日日本歴史人物事典 「添田寿一」の解説

添田寿一

没年:昭和4.7.4(1929)
生年:元治1.8.15(1864.9.15)
明治大正期の大蔵官僚,銀行家。筑前国(福岡県)生まれ。明治17(1884)年東大政治学理財学科を卒業,大蔵省に入る。直後イギリス,ドイツに留学。帰国後,大蔵省参事官として各種銀行法,貨幣法(金本位制)を立案し,その実現に努め31年次官で退官。同年東京帝大の経済学講師を委嘱され,32年に法学博士。同年新設の台湾銀行頭取,次いで35年新設の日本興業銀行頭取となり大正2(1913)年まで在職。その後鉄道院総裁,中外商業新報社長,報知新聞社長,14年貴族院勅選議員となる。経済に関する啓蒙的な著書多数。<参考文献>広渡四郎『添田寿一君小伝』

(守岡隆)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「添田寿一」の解説

添田寿一 そえだ-じゅいち

1864-1929 明治-昭和時代前期の官僚,銀行家。
元治(げんじ)元年8月15日生まれ。明治17年大蔵省にはいり,銀行制度の確立に尽力。大蔵次官をへて32年台湾銀行初代頭取,35年日本興業銀行初代総裁。その後中外商業新報社長,鉄道院総裁などをつとめる。貴族院議員。昭和4年7月4日死去。66歳。筑前(ちくぜん)(福岡県)出身。東京大学卒。

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367日誕生日大事典 「添田寿一」の解説

添田 寿一 (そえだ じゅいち)

生年月日:1864年8月15日
明治時代-昭和時代の財政経済学者;官僚。法学博士;貴族院議員
1929年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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