実業同志会(読み)じつぎょうどうしかい

改訂新版 世界大百科事典 「実業同志会」の意味・わかりやすい解説

実業同志会 (じつぎょうどうしかい)

大正末期から昭和初期にかけ,小資本家と小ブルジョア層を基盤として活躍した自由主義政党。1923年4月鐘淵紡績社長武藤山治会長に,大日本実業組合連合会を母体として結成された。〈政界革新〉を旗印に,普通選挙による純真な立憲政治の確立,軍縮,政官界の弊風刷新,営業税などの悪税廃止,行財政整理,産業の国営反対,社会政策の実行など,主として経済的自由主義を主張した。そのめざすところは,労働者階級の進出に対抗して資本家階級を結集し,革命を予防し安定したブルジョア的秩序を築くところにあった。24年5月の第15回総選挙で8名の代議士を当選させ,治安維持法挙党一致で反対した唯一の政党となった。しかし憲政会(のちの立憲民政党)と立憲政友会の両既成政党挟撃にあって党勢は振るわなかった。28年2月の第16回総選挙では議員4名となり,与野党1議席差の中でキャスティング・ボートを握り,その動向は注目され,4月8日与党の政友会との政策協定(政実協定)を結んだが,党勢を挽回できなかった。29年4月17日国民同志会改称,30年2月の第17回総選挙では6名の議員を当選させたが,32年1月24日解散を決定した。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「実業同志会」の意味・わかりやすい解説

実業同志会
じつぎょうどうしかい

1923年(大正12)4月24日、鐘淵(かねがふち)紡績会社社長武藤山治(むとうさんじ)が結成した政党。武藤は軍事救護法制定運動や営業税反対運動などを行ってきたが、米騒動に衝撃を受け、階級闘争防止のためには生活難の原因である政治腐敗を除去しなければならないとし、「政界革新」を旗印に、関西地方の中小商工業者の組合を糾合して、実業同志会を結成した。翌年の総選挙で八議席を得、治安維持法案に反対し、震災手形処理法案を政商救済として糾弾した。28年(昭和3)の総選挙では当選4名にとどまったが、キャスティング・ボートを握り、政友会との政策協定(政実協定)を結んだ。29年国民同志会と改称したが、少数党の限界を破れず、32年1月解散した。

[江口圭一]

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百科事典マイペディア 「実業同志会」の意味・わかりやすい解説

実業同志会【じつぎょうどうしかい】

1923年鐘淵紡績社長武藤山治が,政界浄化,産業振興,諸営業税撤廃を掲げて組織した小政党。第50議会では治安維持法制定に挙党一致で反対したが,武藤の個人的色彩が強く,実際には政友会の別働隊として動いた。1929年国民同志会に改組されたが,1932年解散。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「実業同志会」の意味・わかりやすい解説

実業同志会
じつぎょうどうしかい

日本の政党。大正末期に結成された新興政党で,1923年に鐘紡社長の武藤山治が,中小企業を組織して,既成政党に対して新政治勢力をつくろうと大阪で創立した。 24年の総選挙では8人を当選させたが,中小企業の組織化に成功せず,28年の総選挙では4議席しかとれなかった。 29年に国民同志会と改称し,32年に解散。

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「実業同志会」の解説

実業同志会
じつぎょうどうしかい

大正末~昭和初期の政党。鐘淵紡績社長武藤山治(さんじ)により1923年(大正12)4月に結成。関西を中心とする商工業者の支持を集めた。会長は武藤。政友会とともに田中義一内閣の与党となってからは,地租・営業収益税の地方委譲や救護法の制定などを支持した。29年(昭和4)国民同志会と改称,32年解散。

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