朝日日本歴史人物事典 「清元延寿太夫(2代)」の解説
清元延寿太夫(2代)
生年:享和2(1802)
江戸後期の清元節の家元。初代の子で江戸生まれ。初名巳三治郎。文化13(1816)年松江藩主の松平不昧(治郷)より栄寿太夫の名をもらう。文政10(1827)年2代目延寿太夫を襲名。「お染」「落人」「神田祭」などを初演し,弘化2(1845)年太兵衛と改める。流行歌を作品に取り入れるなど時流にも敏感で,名人の名をほしいままにした。没後の評に,「序破急もなく人情薄しといへども当時の人気に適ひたる自在の美音なれば聞人なべて称嘆」(柳糸亭三楽『都の錦』1865)と伝えられる。妻の磯,娘のお葉も清元節の名人。門弟が3代目延寿太夫を継いだが芸才に乏しかった。
(竹内有一)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報