日本歴史地名大系 「清岩寺」の解説 清岩寺せいがんじ 長崎県:佐世保市福石村清岩寺[現在地名]佐世保市福石町福石(ふくいし)町の東部にある。福石山と号し、真言宗智山派。清巌寺・清嵒寺とも記された。また福石(ふくし)観音と通称されるのは奥の行基岩に安置される本尊の十一面観音(木像、七尺二寸)によるが、養老年間(七一七―七二四)当地を訪れた行基の作という伝承があり、九州七観音の一つといわれる。大同年間(八〇六―八一〇)当地を訪れた空海が清岩寺を建立、北面の洞窟に五百羅漢を安置したと伝える。江戸時代は日宇(ひう)村青蓮(せいれん)寺に属する末堂とされ、境内は二畝余で境外に山林一町余があった(寺院明細帳)。天明五年(一七八五)観音堂が建立される。本堂に平戸藩主松浦厚の筆になる寺号の扁額がある。 清岩寺せいがんじ 福岡県:甘木市三奈木村清岩寺[現在地名]甘木市三奈木三奈木(みなぎ)の北部、岩切(いわきり)山にある。茶臼山と号し、曹洞宗。本尊の聖観音は伝湛慶作という。寺伝によれば元和年間(一六一五―二四)に福岡安国寺三世天翁全補を開山、黒田一成を開基として創建された寺院で、初め寺地は屋形原(やかたばる)村にあったが、のち当地に移転した。寛永一六年(一六三九)一成から田地を寄進され(寺蔵寄進状)、嘉永五年(一八五二)の家中分限帳(長田加藤家文書)によれば、寺領は田畠高二石九斗余、ほかに米七俵(うち二俵は文化二年の寄進)であった。天保二年(一八三一)以降、当寺では時の鐘を撞いていた(明治以降も続けられた)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報