20世紀日本人名事典 「渡辺熊四郎」の解説 渡辺 熊四郎(2代目)ワタナベ クマシロウ 江戸時代末期・明治期の実業家 渡辺合名会社創業者。 生年弘化4年1月(1847年) 没年大正5(1916)年9月28日 出身地豊後国(大分県) 旧姓(旧名)山下 音吉 経歴明治7年初代渡辺熊四郎の養子となり、29年家督を相続。39年渡辺合名会社を設立。41年鶴岡学校理事長。 出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報
デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「渡辺熊四郎」の解説 渡辺熊四郎(初代) わたなべ-くましろう 1840-1907 幕末-明治時代の実業家。天保(てんぽう)11年6月17日生まれ。豊後(ぶんご)(大分県)の人。文久3年箱館(はこだて)にわたり,海産物商となって巨利をえた。明治2年金森森屋洋物店(百貨店棒二森屋の前身)を設立し,さらに書籍,廻船,倉庫などに事業をひろげた。11年北海道初の新聞「函館新聞」を創刊。小学校,病院を建設するなど公共事業にもつくした。明治40年11月30日死去。68歳。本姓は山下。名はのち孝平。 渡辺熊四郎(2代) わたなべ-くましろう 1847-1916 幕末-明治時代の実業家。弘化(こうか)4年1月生まれ。明治2年初代熊四郎によばれ,函館にわたる。7年初代の養子となり,29年跡をつぐ。39年渡辺合名会社を組織。41年鶴岡学校理事長。谷地頭運動場,千代ケ岱小学校建築のため敷地や資金を提供した。大正5年9月28日死去。70歳。豊後(ぶんご)(大分県)出身。旧名は山下音吉。 出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例