デジタル大辞泉
「温庭筠」の意味・読み・例文・類語
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おん‐ていいんヲンテイヰン【温庭筠】
- 中国晩唐期の詩人。清らかで華美な詩風をもち、李商隠と共に温李と称される。「温飛卿詩集」がある。(八一二頃‐八七〇)
出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報 | 凡例
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温庭筠 (おんていいん)
Wēn Tíng yún
生没年:812-872
中国,晩唐の詩人。字は飛卿。太原(山西省)の人。遊里を飲み歩いて巡警とけんかするなど,軽薄なふるまいが多く,一生まともな官職に就けなかった。李商隠とならべて温李と称される詩人であるが,文学者としての功績は,詞の芸術性を高め,宋詞発展の基礎を築いたことにあり,唐・五代の詞の選集である《花間集》中,第一の作家である。《温飛卿集》10巻が伝わる。
執筆者:荒井 健
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
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温庭筠
おんていいん
(812―870?)
中国、晩唐の唯美詩人。字(あざな)は飛卿(ひけい)。太原(たいげん)(山西省)の出身。優れた詩才をもちながらも、あえて自ら酒色や賭博(とばく)などに身を持ち崩し、ついに科挙に合格できなかった。その最終官職は国子助教という低いものである。彼が好んで詠(うた)ったテーマは、退廃的な恋愛とみなされがちであるが、はばかるところない官能への埋没こそ、唐王朝末期に生まれ合わせた詩人が、徹底して自己を凝視し、かつ主張する手段として恋愛を把握していたことを意味する。その結果として、『温庭筠詩集』7巻、『別集』1巻は、各人が分有する特殊な個(エゴ)の基底に横たわる人間一般の描写に、はしなくも成功しているのである。詩とともに詞(ツウ)の開拓者としても重要。
[野口一雄]
出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例
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温庭筠
おんていいん
Wen Ting-yun
[生]元和7(812)頃
[没]咸通11(870)頃
中国,晩唐の詩人。太原 (山西省) の人。本名,岐。字,飛卿 (ひけい) 。文才があり,科挙の試験場で8たび腕組みをすると詩ができたというところから,温八叉 (はっさ) とも呼ばれたが,素行が悪かったため及第できなかった。宰相令狐綯 (れいことう) の世話になったが,やがてうとんじられ,地方の小官を歴任して不遇のうちに没した。艶麗な詩風で,晩唐期を代表する詩人として,李商隠とともに「温李」と並称される。また,当時の新しく流行した詞に力を注ぎ,遊里に耽溺するうちに接した男女の情態を濃厚な色彩感のうちにうたい,詞を文学として高めた。詩集『温飛卿詩集』 (7巻) 。
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
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世界大百科事典(旧版)内の温庭筠の言及
【詞】より
…中唐以後は文人たちも長短句の詞を作るようになり,白居易の〈憶江南〉,張志和の〈漁父〉などの例がある。ついで晩唐の詩人温庭筠(おんていいん)は,この歌謡の形式をもって創造的な文学的世界を開拓した。その詞は華麗な筆致で孤独な佳人を描きつつ,自らの不遇の憂悶を託する。…
【中国文学】より
…それは妓女がうたう歌謡曲であった。その歌詞を洗練された詩語を用いて作り,教養ある人々の鑑賞にたえる文学としたのは晩唐の詩人温庭筠(おんていいん)であるが,その後これを作る文人はしだいに多くなって,宋代にはきわめてさかんであり,柳永のごとき〈詩余〉を専門とする作家が出た。彼らの作の内容はおおむね不幸な恋の訴えで,そこに描かれる風景もその悲哀に彩られていた。…
※「温庭筠」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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