デジタル大辞泉 「詞」の意味・読み・例文・類語
し【詞】[漢字項目]
[学習漢字]6年
1 ことば。文句。「賀詞・献詞・祝詞・序詞・誓詞・題詞・弔詞」
2 文法上の単語の部類。「動詞・品詞・副詞・名詞」
3 詩文。詩歌。「詞章・
4 中国の韻文の一体。一句の字数がふぞろいなもの。「宋詞」
[名のり]こと・なり・のり・ふみ
[難読]
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中国における韻文文学の様式の一種で,歌辞文芸でもある。もとは唐代における燕楽(宴楽,儀式用の雅楽に対し,宴席などの音楽をいう)の歌辞をいい,それがしだいに伝統的な詩とは違った文学的性格を備え,宋代になって大いに流行した。〈漢文,唐詩,宋詞,元曲〉といわれるように,詞は宋代をもって様式を完成し,この時代の特有な文学としての位置をしめる。詞というほかにいろいろな呼び方があり,詩余,曲子詞,長短句,塡詞,近体楽府(がふ)などともいう。
韻文としての詞の形式(句法,押韻法,韻律など)は楽曲に規定される。詞の楽曲の名を詞牌というが,詞の形式を網羅的に整理した清の康熙帝勅撰の《詞譜》によれば,詞牌の数は826調といい,同一詞牌で形式の異なるもの(同調異体)を数えると2306体と称する。ただ常用される詞牌はせいぜい100調くらいなものである。最も短いのは〈竹枝〉の14字,長いのは〈鶯啼序〉の240字,60字くらいまでの短編を小令といい,長編を慢詞という。宋の初めまではほとんどが小令で,慢詞の流行は比較的遅い。後世は小令,中調,長調と3段階に分け,58字までを小令,59字から90字までを中調,91字以上を長調とする説があるが,あまり根拠はない。押韻法も今体詩のように単純ではなく,異種の韻を交互に(ab ab)あるいは挟むように(ab ba)踏むなど,変化に富む。韻の分類も特殊で,のちに帰納的に整理した著述が何種かあるが,清の戈載(かさい)の《詞林正韻》が代表的である。
唐代に西域の音楽(胡楽)が流入して中国の音楽は大きく変わり,伝統的な楽府(がふ)は歌われなくなる。新興の燕楽の歌辞としては今体詩ことに七言絶句がよく歌われた(李白〈清平調〉など)。ただ七言四句では複雑な楽曲に合わないので,いろいろに変形させて歌ったらしく,それがやがて長短句の詞となったという。ただ一方では自由な句形の通俗歌謡も存在したに違いない。甘粛省敦煌から発見された古文書には,時代は不明だが通俗的な長短句の歌辞が少なからずみえている(任二北《敦煌曲校録》など)。中唐以後は文人たちも長短句の詞を作るようになり,白居易の〈憶江南〉,張志和の〈漁父〉などの例がある。ついで晩唐の詩人温庭筠(おんていいん)は,この歌謡の形式をもって創造的な文学的世界を開拓した。その詞は華麗な筆致で孤独な佳人を描きつつ,自らの不遇の憂悶を託する。唐の滅亡後,五代の多くの地方政権のうち,蜀と南唐の宮廷において詞が流行し,蜀の宰相韋荘,南唐では国主の李璟(りえい),李煜(りいく)父子(《南唐二主詞》)と宰相の馮延巳(ふうえんし)などが優れた詞を作った。また蜀では最初の詞の精華集《花間集》が編まれている(940)。
北宋のなかば仁宗(在位1022-62)の代に詞は飛躍的に発展する。柳永(《楽章集》)は通俗歌謡の手法を大胆にとりいれ,かつ慢詞流行の端緒を開いた。はじめ都の開封で遊興にふけり,濃艶な詞が評判となるが,晩年は失意の苦悩と旅愁とが渾然と融合した名作を生んだ。同じころ張先(《張子野詞》)には文人官僚としての日常生活における佳作が多い。詞における和韻の応酬も彼を中心としてはじまったようである。北宋後半になると,詩人文章家として有名な蘇軾(そしよく)(《東坡楽府》)をはじめ,黄庭堅,秦観など,文人官僚はみな詞を作るようになる。北宋末の周邦彦(《片玉詞》《清真詞》)は慢詞の手法を柳永から受けつぎながら,卑俗さを脱して典雅幽遠な詞風を完成した。音楽に通じ,したがって韻律も精密で,後世〈詞家の正宗〉と尊重される。南宋になると,対金戦争に活躍した辛棄疾(しんきしつ)(《稼軒詞》)のような〈豪放派〉と呼ばれる詞人もいるが,姜夔(きようき)(《白石道人歌曲》),呉文英(《夢窓甲乙丙丁稿》),さらに宋末では周密(《草窓詞》),張炎(《山中白雲詞》)などが周邦彦のあとを受け,精巧で典雅な詞をひろめた。これらの詞人は北宋の文人官僚とは異なり,もっぱら詩文書画などの文事だけで世に重んじられる特殊な階層で,詞はこうした文人たちによってひたすらに洗練される。その精緻な用語表現,厳正な韻律,繊細かつ幽遠な雅趣は,中国における抒情的韻文の洗練の極致を示すといえよう。
元代になると散曲という通俗的な歌辞文芸が流行して詞は衰え,特に楽曲は伝承を絶って歌辞文芸という性格は失われた。のち清代になって江南地方に趣味の高雅を誇る文人階層が形成されると,詞は韻文文学として復活する。元,明の間には《草堂詩余》のような通俗的な詞集のみが流布したが,明末に汲古閣の《宋名家詞》が現れて宋の詞集復元の先鞭をつけ,清代では朱彝尊(しゆいそん)《詞綜》,康熙帝勅撰《歴代詩余》,王鵬運《四印斎所刻詞》,朱孝臧《彊村叢書》などが宋詞をひろめ,創作も盛んで〈浙派〉〈常州詞派〉などの詞社が形成される。研究も進んで〈詞学〉と称され,その余波は現代にも及んでいる。
執筆者:村上 哲見
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中国、唐(とう)代に芽生え、両宋(そう)にわたって全盛を極めた歌謡文学。「開元以来、歌者は胡夷里巷(こいりこう)の曲を雑用した」という『旧唐書(くとうじょ)』「音楽志」の記載などから、当時西域(せいいき)から伝来した西方音楽や民間の俚謡(りよう)などの影響を受けた楽曲が流行していたことがわかる。これらの楽曲は当時「曲」「曲子(きょくし)」とよばれ、その歌詞は「曲詞」「曲子詞」とよばれていたが、いつしか独立して「詞」とよばれるに至った。長句、短句の入り交じった句格をもつ定型詩なので「長短句」、詩の余技であり、より俚俗(りぞく)であるので「詩余」、複雑な句格に文字をはめ込むので「填詞(てんし)」、音楽に密接に関係しているので「倚声(いせい)」「楽府(がふ)」などともよばれる。この当時流行の楽曲名は「牌(はい)」「調(ちょう)」などとよばれ、それに沿って多くの歌詞がつくられた。たとえば「浣渓沙(かんけいしゃ)」「菩薩蛮(ぼさつばん)」という牌には宋代だけでそれぞれ約800闋(けつ)(首)、約600闋の作がある。牌の数は時とともに増し、清(しん)の康煕(こうき)欽定(きんてい)の『欽定詞譜』では826種に及ぶ牌の句格について説明しているが、同一の牌で複数の牌名や句格をもつものも多い。
現存する最古の詞として李白(りはく)の「憶秦娥(おくしんが)」「菩薩蛮」の2闋があげられるが、真偽については異論がある。中唐の張志和や白居易の作を経て晩唐に至って初めて詞人とよばれるにふさわしい温庭筠(おんていいん)が現れ、五代南唐の宰相馮延巳(ふうえんし)や後主(こうしゅ)李煜(りいく)が名作を残すに至って詞は初めて士大夫(したいふ)の文学としての地位を獲得した。なお敦煌(とんこう)から発見された500余闋の作は晩唐五代の作と思われるが作者名がわからない。北宋になって、馮延巳の影響を受けた晏殊(あんしゅ)や欧陽修(おうようしゅう)らが艶麗(えんれい)な作品を数多く残すに至って俄然(がぜん)活況を呈する。柳永(りゅうえい)は鄙俗(ひぞく)な詞をつくってもてはやされたが、その鄙俗さゆえに都落ちを余儀なくされた。彼が離別の宴で「今宵の酒は何処(いずこ)に醒(さ)むるや、楊柳(ようりゅう)の岸、暁の風残(のこ)んの月」と歌った「雨霖鈴(うりんれい)」の詞は、「大江は東に去り、浪(なみ)は淘(よな)ぎ尽くしぬ千古の風流の人物を」に始まる蘇軾(そしょく)の「赤壁懐古」と題する「念奴嬌(ねんどきょう)」の詞とともに前者は婉約(えんやく)派、後者は豪放派とよばれる詞風の代表とされている。こうして主題の枠を広げた詞は寿賀の宴席の場にも入り込み、婉約派には周邦彦(しゅうほうげん)、姜夔(きょうき)ら、豪放派には辛棄疾(しんきしつ)らの有力な後継者を得て、両宋にわたって約1300人の作者によって約2万闋の作がつくられた。柳周辛姜の4人を四大家と称するが、そのマンネリ化、典雅化は、より俚俗でより新鮮なメロディをもつ新興の散曲にその座を明け渡す。後蜀(こうしょく)の趙崇祚(ちょうすうそ)編『花間集(かかんしゅう)』、宋の黄昇編『花庵詞選』、清(しん)の康煕欽定の『御選歴代詩余』は詞の選集のおもなものであり、林大椿編『唐五代詞』、唐圭璋編『全宋詞』『全金元詞』は当該時代の作を網羅している。詞に関する逸話や批評などを述べたいわゆる詞話は唐圭璋編の『詞話叢(そう)編』に大量に収められている。
[田森 襄]
『神田喜一郎著『日本における中国文学Ⅰ・Ⅱ』(1965、67・二玄社)』▽『村上哲見著『宋詞研究』(1976・創文社・東洋学叢書)』▽『中田勇次郎著『漢詩大系24 歴代名詞選』(1965・集英社)』▽『倉石武四郎編・訳『中国古典文学大系20 宋代詞集』(1970・平凡社)』▽『波多野太郎著『宋詞評釈』(1971・桜楓社)』▽『馬嶋春樹著『新釈漢文大系 中国名詞選』(1975・明治書院)』
日本語の文法で、単語を文法上の性質により2大別した場合の一類。他の一類を辞(じ)という。詞の概念は中世にも存したが、近世の鈴木朖(あきら)著『言語四種論』(1824初刊)では、さす所のないテニヲハ(辞)に対して、さす所あるもの、すなわち「体ノ詞・作用ノ詞・形状ノ詞」の3種が詞とされた。橋本進吉は、それだけである観念を表し、単独で文節を構成しうる語を独立詞または詞とする。ただし、接辞のように単独で文節を構成しえぬものをも含む。これに属する語は助詞・助動詞以外のものであり、いわゆる自立語がこれにあたる。時枝誠記(もとき)は日本古来の言語観を発展させ、言語主体に対立する客体界の事柄を、概念化の過程を経て表現する語を詞とした。これに属するのは体言、用言、連体詞、副詞(陳述副詞を除く)である。この考えによれば、感動詞、接続詞は客体的な事柄を表現しえないので、詞とは認められない。また、いわゆる形容動詞は、語幹部分が詞、語尾が辞として分解される。
[青木伶子]
『橋本進吉著『国語法研究』(1948・岩波書店)』▽『時枝誠記著『国語学原論』(1941・岩波書店)』▽『時枝誠記著『日本文法 口語篇』(1950・岩波全書)』
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詩余,填詞(てんし)とも称する。中国の韻文(いんぶん)の一種。楽曲の歌詞。周代の詩,六朝の楽府(がふ)の流れを受け,西域から輸入された外国音楽に刺激され,中唐に発生。晩唐の温庭筠(おんていいん),五代の李煜(りいく)らによって洗練され,北宋では唐詩に対する宋詞として上下階層に広くつくられ,最盛期に達した。宴席の娯楽,遊戯にとどまらず,柳永(りゅうえい),蘇軾(そしょく),辛棄疾(しんきしつ)らにより句法,韻律が整えられ,古典詩に匹敵する地位に高められた。
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…一つの範疇に属する単語はある種の機能(用いられ方,すなわち,文中のどのような位置に現れるか)を共有している。こうした範疇を従来より品詞parts of speechと呼んできた。名詞とか動詞とかと呼ばれているものがそれである。…
…しかし,現在の日本での使い方は,明治以降の日本文学の研究者によるもので,読まれる詩歌に対して,歌われる詩歌を強調することを目的とした。今日では,歌詞と音楽という二分法が一般的であるが,時代や文化によっては,この両者が未分化のままで,歌謡が生みだされることも多いため,文学研究では,この語を拡大して使うこともある。また,日本音楽についての〈歌い物〉と〈語り物〉という現行の二分法からみれば,歌謡は歌い物と重なる面が広いが,定義によっては,語り物の中に多くの歌謡を見いだすことも可能である。…
…文字に記されて残っているものとしては,古代オリエントの《ギルガメシュ叙事詩》や古代インドの二大叙事詩,古代エジプトの〈ピラミッド・テキスト〉や神々への賛歌,古代ギリシアのホメロスの叙事詩,旧約聖書中の韻文テキスト,古代中国の《詩経》などが名高い。日本の場合は,《古事記》《日本書紀》《風土記》などに古代の歌垣や婚姻の歌,国ほめや神ほめの歌が記録されているほか,祝詞(のりと)などの宗教的テキスト,《万葉集》の中の伝承歌謡などがあり,また沖縄の《おもろさうし》や,時代は下るがアイヌ民族の口誦叙事詩群〈ユーカラ〉も知られている。口承文芸
【西欧の詩】
ひとくちに西欧の詩といっても,ギリシアからローマに至る古代のそれと,中世から現代に至るヨーロッパのそれとは,本来は別個のものと考えるべきだろう。…
…とくに叙事詩,劇詩が衰退した近代・現代においては,詩はほとんどすべて抒情詩とみなすことができるし,抒情詩がすなわち詩を代表しているのが実情である
[ヨーロッパ]
抒情詩と訳される西欧諸語の源はギリシア語にさかのぼり,リラlyra(竪琴)およびそれに関連するものを表すlyrikosに発している。つまり,この語はまず最初は竪琴にあわせて詩人がうたう歌を指していたのであり,詩人は作詞者であるとともに作曲者,演奏者でもあった。また詩人が合唱団の指揮者となって,宗教,祭祀等々にかかわる集団的感情を表現しようとする民衆を代表する立場に立つこともあった。…
…庾信(ゆしん)の〈哀江南の賦〉は多量の典故を用いて,南朝の滅亡をうたった壮大な叙事詩というべき大作であった。
[楽府]
楽府(がふ)は漢代の宮廷に設けられた役所の名から,その楽人が演奏した曲の歌詞の総称となった。地方の俗謡とそのかえうたを含む。…
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