改訂新版 世界大百科事典 「湊川の戦」の意味・わかりやすい解説
湊川の戦 (みなとがわのたたかい)
1336年(延元1・建武3)摂津兵庫(神戸市)の湊川付近一帯で行われた,足利軍と楠木・新田軍との合戦。同年1月京都を駆逐されて翌月九州に逃れた足利尊氏・直義は,4月大軍を集めて博多を発し,尊氏は海路,直義は陸路を進んで畿内に迫り,四国勢を率いた細川一族も海上で主力と合流した。建武新政府は新田義貞・楠木正成に迎撃を命じ,義貞は和田岬に,正成はその西の湊川に布陣した。5月25日,四国勢は岬の前を迂回して生田に上陸し,尊氏軍の主力は和田岬に上陸して新田軍を攻めたので,新田軍は京都に向かって敗走した。楠木軍は陸路を攻め寄せた直義軍に反撃を加えたが,新田軍の敗走によって孤立し,敵の重囲に陥って敗れた。正成は一族・配下70余人とともに自害したと伝えられる。この敗戦により建武新政府は崩壊し,後醍醐天皇は叡山に逃れ,尊氏は再び入京し,光明天皇を擁立し,室町幕府を建てることとなる。
執筆者:小川 信
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報