湯岐村(読み)ゆじまたむら

日本歴史地名大系 「湯岐村」の解説

湯岐村
ゆじまたむら

[現在地名]塙町湯岐

木野反きのそり村の南、川上かわかみ川上流域の山地に立地。湯岐温泉がある。江戸時代の領主変遷常世北野とこよきたの村と同じ。慶長八年(一六〇三)の常世之内北野村縄打帳(福島県史)に村名と、のち当村枝郷として扱われる干泥ひどろ村がみえる。正保郷帳には湯治又村とみえ高一〇七石余、うち田七七石余・畑三〇石余。元禄郷帳では高二二五石余。元禄一五年(一七〇二)の水帳町反分米寄目録写(塙町史)によれば反別六〇町八反余、分米二九六石余(うち蔵屋敷分一斗六升免除)、うち古高二二五石余・改出高七一石余、湯岐村分二一八石余、干泥村分七八石余。

湯岐村
ゆのまたむら

[現在地名]舘岩村はな

角生つのう村の南、北流する湯ノ岐川両岸の標高約七四〇メートルにある。右岸に集落が多く左岸には耕地が開けている。「会津風土記」に「湯俟」とみえ、「温湯出」とある。村内に温泉が出るため名付けられたと伝え、もと湯野俣と書いたが、寛文年中(一六六一―七三)湯岐に改めたという(新編会津風土記)。元禄七年(一六九四)の村明細帳(星家文書)によると高四四石余(うち新田一石四斗)、田方一反余・畑方一〇町九反余、家数一四。畑では大豆・小豆・稗・粟・麻・蕎麦・大麦・小麦・黍・菜・芋・大根を作り、農間に男は薪取・麻紡ぎを行い、女は麻ひねり・布織などをした。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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