湯谷基守(読み)ユヤ モトモリ

20世紀日本人名事典 「湯谷基守」の解説

湯谷 基守
ユヤ モトモリ

明治・大正期の国学者,神官



生年
嘉永3年8月5日(1850年)

没年
大正12(1923)年2月24日

出生地
豊前国下毛郡湯屋村(大分県)

経歴
幼少から学問を好み、同族・田染道和に習字を、同族・湯屋孝七に四書を学ぶ。文久3年(1863年)渡辺重石丸の道生館に入り国学漢学を修め、明治元年重石丸の兄・重春について和歌を学んだが、2年重石丸を追って上京、皇学所に通った。4年重石丸の紹介で平田延胤の門に入り、篤胤没後門弟となる。延胤の没後はその父・平田銕胤の教えを受け古典皇学を究めた。5年大阪の牧岡神社、6年宇佐神宮、のち大分の西寒多神社、福岡の香椎宮などの神職を務めた。13年中津町に神宮教会所を建て、31年権大教正となる。32年神宮奉斎会が設立され、中津支部長となった。また和歌は冷泉為記に従い同家相伝の歌会式を伝授した。中津言葉社を創立し、書は宰府の宮小路浩潮に学び、画は福岡の南画家・柳坂塘雨について書画共に巧みであった。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「湯谷基守」の解説

湯谷基守 ゆや-もともり

1850-1923 明治-大正時代の国学者。
嘉永(かえい)3年8月5日生まれ。渡辺重石丸(いかりまろ)に国学,漢学をまなび,また平田篤胤(あつたね)の没後の門人となる。宇佐神宮,香椎(かしい)宮などの神職をつとめた。大正12年2月24日死去。74歳。豊前(ぶぜん)下毛(しもげ)郡(大分県)出身

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

今日のキーワード

カイロス

宇宙事業会社スペースワンが開発した小型ロケット。固体燃料の3段式で、和歌山県串本町の民間発射場「スペースポート紀伊」から打ち上げる。同社は契約から打ち上げまでの期間で世界最短を目指すとし、将来的には...

カイロスの用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android