滑川道夫(読み)ナメカワ ミチオ

20世紀日本人名事典 「滑川道夫」の解説

滑川 道夫
ナメカワ ミチオ

昭和期の児童文学者,児童文化評論家 東京成徳短期大学名誉教授;日本児童文学学会会長。



生年
明治39(1906)年11月3日

没年
平成4(1992)年12月13日

出身地
秋田県湯沢町下町(現・湯沢市)

別名
筆名=滑川 三千夫(ナメカワ ミチオ)

学歴〔年〕
秋田師範専攻科〔昭和4年〕卒,日本大学高等師範部国語漢文学科〔昭和13年〕卒

学位〔年〕
教育学博士(筑波大学)〔昭和55年〕

主な受賞名〔年〕
サンケイ児童出版文化賞〔昭和35年 36年〕,垣内松三賞〔昭和36年〕「少年少女つづり方作文全集」,読書科学賞(日本読書学会)〔昭和45年〕,全国大学国語教育学会賞〔昭和52年〕,日本作文会賞〔昭和54年〕「日本作文綴方教育史 大正編」,勲四等旭日小綬章〔昭和56年〕,毎日出版文化賞(第35回)〔昭和56年〕「桃太郎像の変容」,日本児童文学学会賞(第13回)〔平成1年〕「日本児童文学の軌跡」,湯沢市名誉市民〔平成2年〕,郵政省簡易保険局諸井賞〔平成4年〕

経歴
昭和21年私立成蹊小学校主事、32年成蹊学園教育研究所長、23年文部省図書館職員養成所講師、41年東京教育大学専任講師、45年東京成徳短期大学教授・付属図書館長歴任。国語教育、読書指導作文教育、児童文化評論といった各方面業績がある。著書に「文学形象の綴方教育」「読書指導」「オモチャ教育論」「児童文化論」「桃太郎像の変容」「日本児童文学の軌跡」のほか詩集「泉」、創作「行動半径二百メートル」などがある。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「滑川道夫」の解説

滑川道夫 なめかわ-みちお

1906-1992 昭和時代の教育家,児童文学者。
明治39年11月3日生まれ。昭和5年雑誌「北方教育」に参加,国分一太郎,寒川(さがわ)道夫らと生活綴方(つづりかた)運動をすすめる。戦後,児童雑誌銀河」を創刊した。40年東京成徳短大教授。56年「桃太郎像の変容」で毎日出版文化賞。平成4年12月13日死去。86歳。秋田県出身。日大卒。著作に「日本作文・綴方教育史」など。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

367日誕生日大事典 「滑川道夫」の解説

滑川 道夫 (なめかわ みちお)

生年月日:1906年11月3日
昭和時代の児童文学者;児童文化評論家。東京成徳短期大学教授;日本児童文学学会会長
1992年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内の滑川道夫の言及

【北方教育】より

…また《赤い鳥》流の文芸主義的な綴方を批判して,綴方と社会科学との結合をめざし,東北農村の地域性,厳しい自然環境とそのなかでの児童を含めた過酷な農漁業労働や貧しい生活をふまえた生活学習を展開しようとした。編集兼発行人の成田忠久を中心に同地方の綴方教師滑川道夫や佐々木昂らの同人組織として,実践記録や創作のほか,児童作品の批評,学校文集の紹介などを行い,教育のリアリズムや生活と表現の問題を論じた。北方教育社の教育改造運動はこの雑誌およびサークル活動・研究会を通じて県外グループとの交流が広がり,34年11月の北日本国語教育連盟結成の軸となるなど〈北方性教育運動〉へと発展した。…

※「滑川道夫」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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