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滝野遊軒 たきの ゆうけん

デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

滝野遊軒 たきの-ゆうけん

1695-1762 江戸時代中期の柔術家。
元禄(げんろく)8年生まれ。京都の人。大坂で堀田自諾に起倒(きとう)流柔術をまなぶ。はじめ京坂で柔術をおしえたが,のち江戸で道場をひらき,起倒流の名をひろめた。門弟は京都,大坂,江戸をあわせて5700人をこえたといわれる。宝暦12年6月18日死去。68歳。名は貞高。通称は専右衛門。別号に古月斎,挙嶢。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

滝野遊軒
たきのゆうけん
(1695―1762)

江戸中期の柔術家。江戸に起倒(きとう)流を広めた功労者。通称専右衛門(せんえもん)、名は貞高(さだたか)、古月斎(こげつさい)、蔵六舎(ぞうろくしゃ)、また挙嶢(きょぎょう)と号した。丹波(たんば)国(兵庫県)の生まれ。若年のころ大坂に出て柔術に志し、初め楊心(ようしん)流、ついで友人の勧めで起倒流の堀田佐五衛門(ほったさごえもん)頼庸(よりつね)の門に入り、1715年(正徳5)21歳のとき免許を受け、師の推挙で九条関白簾中(れんちゅう)(芸州浅野侯息女)に奉仕した。のち禁中に勤仕し、かたわら柔術を堂上方、門跡方、寺社奉行(ぶぎょう)の家来や大坂城付属の与力・同心らに教授した。44年(延享1)50歳、禁廷を辞して、起倒流の弘布(こうふ)を志し、高弟の加藤有慶(うけい)らを伴って東都に至り、下谷三筋(したやみすじ)町(芝西久保天徳寺門前ともいう)に柔術指南の看板をあげた。51年(宝暦1)道場を有慶に譲り、いったん京都に帰ったが、いわゆる宝暦(ほうれき)・明和(めいわ)事件にあい、廷臣らの武芸停止令が発せられたため京を離れ、しばらく大坂に住したが、ここでも武芸師匠らの所払い令が出たため、58年ふたたび江戸に戻り、日本橋浮世小路の草庵(そうあん)に隠れ、時期の到来を待ったという。
 門人は京・大坂・江戸をあわせて計5700余人、うち免許は170人に上ったが、なかでも、養子の滝野小主水貞固(こもんどさだかた)、中川新五兵衛(幕臣)、比留川(ひるかわ)彦九郎(雲弘流)、鈴木清兵衛邦教(せいべえくにたか)(幕臣、松平定信(さだのぶ)の師)、神戸有麟斎(かんべゆうりんさい)(灌心(かんしん)流祖)、犬上郡太左衛門(いぬかみぐんたざえもん)(扱心(きゅうしん)流祖)、冨永大学泰欽(やすのり)(神明和光伝(しんめいわこうでん)祖)、竹中鉄之助一清(かずきよ)(竹中派)らが有名である。[渡邉一郎]

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