熊沢寛道(読み)クマザワ ヒロミチ

20世紀日本人名事典 「熊沢寛道」の解説

熊沢 寛道
クマザワ ヒロミチ

昭和期の天皇自称南朝系天皇の自称者。



生年
明治22(1889)年12月18日

没年
昭和41(1966)年6月11日

出生地
愛知県一宮市

出身地
愛知県名古屋市

別名
別名=熊沢天皇(クマザワテンノウ)

経歴
名古屋市千種区で洋品雑貨商を営む。敗戦後の昭和20年10月、自分は南朝の正統で現天皇はニセものと主張、米占領軍の機関紙「星条旗」や米週刊誌「ライフ」などに取り上げられて一躍国際的な話題となった。21年1月には天皇人間宣言が発表された折から、全国を講演旅行して熊沢天皇と呼ばれた。26年1月東京地裁に現天皇不適格確認訴訟を起こしたが却下され、講和条約成立後は世間も落ち着いて一般の関心も薄れた。晩年は東京池袋の人生横町に間借りして「日本史の誤りを正す」著述に専念した。郷里の一宮市時之島には南朝遺話が多く、養父の熊沢大然も後亀山天皇直系として明治政府に上奏、彼も戦前、上奏しては無視されたという。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

改訂新版 世界大百科事典 「熊沢寛道」の意味・わかりやすい解説

熊沢寛道 (くまざわひろみち)
生没年:1888-1966(明治21-昭和41)

終戦直後,南朝後醍醐天皇の後裔(こうえい)と称し,皇統123代正照王熊沢天皇を名のった人物。みずから南朝直系の皇位継承者であることを主張しつづけたが,1951年1月東京地裁に提訴した〈現天皇不適格確認〉の訴訟が却下されたのを境に,世間から完全に忘れ去られ,78歳をもって生涯を閉じた。葬儀官憲に妨害されるなど,後半生最後まで波乱つづきだった。
執筆者:

出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「熊沢寛道」の解説

熊沢寛道 くまざわ-ひろみち

1889-1966 昭和時代の自称「皇統継承者」。
明治22年12月18日生まれ。洋品雑貨商。昭和20年GHQに自分こそ南朝正統の皇孫であると名のりでて一躍脚光をあび,「熊沢天皇」とよばれた。26年「現天皇不適格確認」を提訴し,却下される。昭和41年6月11日死去。76歳。愛知県出身。著作に「南朝と足利天皇血統秘史」。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

367日誕生日大事典 「熊沢寛道」の解説

熊沢 寛道 (くまざわ ひろみち)

生年月日:1889年12月18日
昭和時代の自称「皇統継承者」
1966年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内の熊沢寛道の言及

【熊沢天皇】より

…第2次大戦後,南朝の正統な皇統の継承者と名乗り出た熊沢寛道(1889‐1966)の通称。1946年(昭和21)1月18日,GHQは名古屋市千種区で雑貨商を営む熊沢寛道が後亀山天皇第19代正統者と名乗り出たことを発表した。…

※「熊沢寛道」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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