日本書紀や万葉集にも登場し、日本最古の温泉の一つとされる。温泉街の中心部では、国の重要文化財に指定された本館と、「
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松山平野の東北端にある温泉。古代には
源泉の発見は白鷺によるとの伝承がある。負傷した白鷺が温泉に浴しているうちに治癒して元気になって飛び去ったのを見て、地方民がその効験の著しいのに驚嘆したのに始まるという(予陽郡郷俚諺集)。その伝説地を
「伊予国風土記」逸文によると、大己貴命・少彦名命の二神が相携えて伊予へ来たとき、少彦名が重病となった。大己貴は小躯の少彦名を湧き出る湯で療養させたところ、快癒してもとの健康体になったとの説話を載せている。この二神を奉斎したのが温泉に隣接する式内社
さらに同書は、景行天皇と皇妃八坂入姫、仲哀天皇と皇后息長足媛(神功皇后)、聖徳太子、舒明天皇と皇后、斉明天皇と中大兄・大海人両皇子らの道後来浴の説話を載せている。このうち景行および仲哀両天皇の来浴は傍証する史料がなく、史実とは認められない。
聖徳太子は僧恵慈および葛城臣らを従えて道後に来浴し、湯岡すなわち
聖徳太子の道後来浴によって、新文化を表徴する寺院がこの地に創建されるようになったと伝えられる。それは温泉の北西方にある
それからおよそ半世紀のちに、舒明天皇が皇后とともに来浴した。「日本書紀」に、
とある。「伊予国風土記」逸文には、天皇は行宮にあって、
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
愛媛県松山市にある温泉。温泉の歴史は古く、「伊予温湯(いよのゆ)」「熟田津石湯(にぎたつのいわゆ)」などという。『日本書紀』『万葉集』『伊予国風土記(ふどき)』逸文、『源氏物語』などにその記述がみられ、日本最古の温泉の一つである。火山性温泉とは異なり、領家花崗(りょうけかこう)岩帯に貫入した黒雲母(くろうんも)花崗岩の裂け目から湧出(ゆうしゅつ)する温泉である。道後湯之町(ゆのまち)を通り、北西―南東方向に断層があって、源泉の多くはこの破砕帯にあり、十数か所現存する。断層の上部は厚い沖積層に覆われているので、源泉垂直深度は大きく300~500メートルに達する。泉質は単純アルカリ質、湧出量は毎分100~200リットルだが変動がある。1946年(昭和21)の南海地震では一時湧出が停止した。道後温泉本館(振鷺閣(しんろかく))は明治中期の建物で国指定重要文化財。神之湯、霊之湯(たまのゆ)、休憩所からなる共同浴場である。ほかに数か所の共同浴場があり、旅館・ホテルは約100軒を数える。各種娯楽施設、土産(みやげ)物店などがあり、一大温泉街をなしている。JR予讃(よさん)線松山駅から伊予鉄市内線が通じる。
[深石一夫]
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出典 日外アソシエーツ「事典・日本の観光資源」事典・日本の観光資源について 情報
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