牛屋村(読み)うしやむら

日本歴史地名大系 「牛屋村」の解説

牛屋村
うしやむら

[現在地名]神林村牛屋

あら川の右岸にあり、南は鳥屋とりや(現荒川町)に対し、東は宿田やずた村、西は福田ふくだ村に接する。建長七年(一二五五)三月二七日の将軍家(宗尊親王)政所下文(色部氏文書)には色部氏の祖平為長から子公長へ「小泉庄加納内色部牛屋」などの地頭職が譲られたことがみえる(→牛屋条。公長の子氏長は牛屋氏の祖とされ、当地を本貫地として長直・在長・長義と続く。永禄六年(一五六三)の色部氏段銭日記写(「古案記録草案」所収文書)には「六千五百苅のやく一貫三百文うしやの寺しや方」とみえる。


牛屋村
うしやむら

[現在地名]鯖江市吉江よしえ吉江中よしえなか

西番にしばん村の南、杉本すぎもと村の北に位置する。慶長一一年(一六〇六)頃の越前国絵図では丹生北郡中の立町たちまち村に含まれる。村名は正保郷帳にみえ、田方三〇七石余・畠方一五七石余。福井藩領であったが、正保二年(一六四五)吉江藩の立藩後はその大部分が陣屋およびその町場となった。


牛屋村
うしやむら

[現在地名]有明町大字牛屋

有明海に面した干拓村で、廻里江めぐりえ川の東部に位置する一望の水田地帯。この地一帯が陸地化したのは古墳時代以後と考えられる。

慶長絵図には牛屋の地名はなく「干出」とあり、当時の干拓地を一括したものと思われる。現牛屋搦うしやからみ北方である。正保絵図に村名がみえる。この村の字名のほとんどに何本松とかこもり、搦がつく。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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