牛屎院(読み)うしくそいん

日本歴史地名大系 「牛屎院」の解説

牛屎院
うしくそいん

現大口市域の大部分に比定される。「牛草」とも記される(永禄一二年一一月一五日「島津義久寄進状」霧島神宮文書)。天承二年(一一三二)七月二一日の僧経覚解(近衛家本「知信記」天承二年巻裏文書)に「於牛屎真幸両郡、為彼等押領畢」とみえ、日向国真幸まさき(真幸院、現宮崎県えびの市)とともに在地の輩に押領されたとして、当院の沙汰人とみられる経覚は摂関家政所の裁許を重ねて求めている。当時摂関家領で、また「雖縦無殊指御使付本庄」とあることからすでに島津庄に含まれていたと考えられる。

〔牛屎郡司〕

この頃牛屎郡の郡司(牛屎院院司職)は、大秦(太秦とも記す、牛屎)氏が相伝していた。同氏の牛屎郡とのかかわりは、康和二年(一一〇〇)大秦元平(元衡)が近衛府への貢節の功により郡司に補任されたことに始まり、以後元重・元永・元光へと相伝された。その間応保年中(一一六一―六三)には家道、承安二年(一一七二)には重綱との間で郡司職をめぐる争いがあり、安元元年(一一七五)頃には国吉(篠原氏)による名田押妨などがあり、同年元光の訴えに基づき、家道・重綱・国吉の妨を排し、元光の牛屎郡司職知行が安堵された(同年八月「右近衛府牒」桑幡文書)。だが国吉は安元二年秋には国衙在庁官人や島津庄官らと結託して田地二五町三反の稲を刈取るなどして元光に対抗、翌三年四月には元光の訴えを認めて国吉らに刈取った稲の返却の命が出された(「右近衛府政所下文」同文書)。なお元光は当時右近衛府に属する相撲人であった。その後小城重道が一時島津庄惣地頭島津忠久により郡司・弁済使に補任されたが、文治三年(一一八七)五月三日重道の相伝を無効として源頼朝により元光は牛屎院を安堵された(「源頼朝下文」島津家文書)

〔建久図田帳と院内の諸職〕

薩摩国建久図田帳によれば、牛屎院三六〇町は島津庄寄郡で、本家は近衛家、惣地頭は島津忠久であった。三六〇町の内訳永松ながまつ二四〇町(院司元光)幸万こうまん五五町(島津庄方弁済使)木崎きさき一五町(名主前内舎人康友)光武みつたけ五〇町(名主九郎大夫国吉)であった。院司元光は前述の大秦(牛屎)氏、木崎名主前内舎人康友は新田宮執印・五大院院主職と鹿児島郡司であった惟宗康友、光武名主九郎大夫国吉は前述の篠原氏である。牛屎院地頭職は島津忠久以後、忠時(道仏)を経て忠真(島津氏庶流山田氏)に伝えられた(文永二年九月二〇日「島津道仏譲状」・文永三年二月二七日「島津道仏譲状」山田文書)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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