牧田環
まきたたまき
(1871―1943)
大正・昭和初期の三井財閥の経営者。大阪市出身。1895年(明治28)帝国大学工科大学採鉱冶金(やきん)学科を卒業して三井鉱山に入社。技術者として、とくに1913年(大正2)以降は役員として、三井財閥の炭礦鉱山部門の近代化、同部門を拠点とする石炭化学工業、鉄鋼業などの重化学工業の多角的展開に大きく貢献した。三井財閥の最高指導者であった団琢磨(だんたくま)と、鉱山技術者の後輩かつ女婿として密接に結ばれていたことも、彼の活発な経営者行動に力あった。36年(昭和11)三井鉱山取締役会長を辞任したのちは、昭和飛行機社長、石炭液化の帝国燃料興業総裁、財界諸団体役員に就任し、技術者出身財界人として重きをなした。
[森川英正]
『森川英正著『財閥の経営史的研究』(1980・東洋経済新報社)』▽『森川英正編著『牧田環伝記資料』(1982・日本経営史研究所)』
出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例
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牧田 環
マキタ タマキ
明治〜昭和期の実業家 三井合名理事。
- 生年
- 明治4年7月20日(1871年)
- 没年
- 昭和18(1943)年7月6日
- 出生地
- 大阪市北桃谷町
- 学歴〔年〕
- 東京帝大工科大学採鉱冶金学科〔明治28年〕卒
- 学位〔年〕
- 工学博士〔大正2年〕
- 経歴
- 明治28年三井鉱山に入り、三池炭鉱に勤務、大正2年取締役、常務を経て、昭和9年会長。7年には三井合名理事となり三井財閥首脳部の1員に。三池炭鉱の近代化、三池染料、三池製錬、東洋高圧など大牟田コンビナート育成に貢献、総帥團琢磨の女婿として活躍した。11年三井合名、三井鉱山を退職。12年昭和飛行機工業を設立、社長、13年帝国燃料興業初代総裁。他に日本経済連盟、日本工業倶楽部各理事、釜石鉱山会長、日本製鉄取締役など多くの要職を歴任した。
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報
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牧田環 まきた-たまき
1871-1943 明治-昭和時代前期の実業家。
明治4年7月20日生まれ。三井鉱山に技術者としてはいり,その近代化につとめる。三井合名理事長で岳父の団琢磨(たくま)と協力して三井財閥の重化学工業への転換に貢献。昭和9年三井鉱山会長。のち昭和飛行機工業社長。昭和18年7月6日死去。73歳。大阪出身。帝国大学卒。
出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例
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牧田 環 (まきた たまき)
生年月日:1871年7月20日
明治時代-昭和時代の実業家;技術者。三池炭鉱会長
1943年没
出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報
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