固体である石炭から種々の方法で石油類似の液体燃料や化学原料を製造することを石炭液化とよび、石炭ガス化と並び称せられる。石炭の水素化分解、石炭の水素添加(石炭の水添)ともいい、第二次世界大戦中の人造石油とほぼ同義語である。
[上田 成・荒牧寿弘]
第二次世界大戦後アメリカはドイツの人造石油の製造技術を基に、絶え間ない技術開発を進めてきたが、当時進められていた石炭液化法は、旧ドイツ法である低温乾留法、直接液化法、間接液化法を改良発展させたもので、基本的には戦前の手法と変わらない。
1950年代に米ソの冷戦時代を背景に開発研究は高まりをみせ、アメリカ鉱山局においてはドイツの技術を完全に吸収発展させた1日の石炭処理量が1500トンの大工場が計画されるまでになったが、冷戦の緩和と膨大な中東石油の発見によって計画は中止された。しかしながら、1973年のオイル・ショックによって、石油代替エネルギーの開発研究の必要性が世界的に認識され、とくにアメリカの開発研究を大幅に促進する結果となった。
この間、一貫して石炭液化の経済性を改善するための努力がなされてきた。反応装置に関しては石油化学工業の発達と相まって、設計、材料、計装、自動制御のすべてを含む化学装置の面で格段の進歩を遂げたが、商業生産規模の面では1桁(けた)以上に拡大している。1日数万トンもの石炭を処理する商業規模の液化工場を実現するために、数十~数百トンのパイロット・プラントを使用した研究が続けられた。
低温乾留法では、得られる液体収率が6~12%と低いのが欠点であったが、段階的に温度を上げていく多段乾留法や急速加熱法の開発によって、低温タールを完全に絞り出し、液体収率を25%に高めることに成功している。
直接液化法は、石炭の微粉末に媒体油と触媒を均一に混合し、固液流体化された石炭スラリーを高温・高圧の水素雰囲気下(水素が共存する条件)で反応させる。すなわち、それぞれ性質の異なる固体(石炭、触媒)、液体(媒体油)、気体(水素)を同時にしかも高温・高圧下で反応させるもので、液体のみを反応させる石油精製技術に比べてはるかにむずかしい技術である。反応温度と圧力を可能な限り低下させて技術的な困難性と設備投資額を低減させるために、安価で活性の高い触媒の開発や、コバルト、モリブデンなど高価な触媒の効率的な使用法の開発、石炭の化学構造に立脚した合理的な液化反応の進め方、そして活性な水素を供与できるような媒体油の使用など、種々の改良が進められた。
間接液化法は、石炭をいったんガス化し再度液状炭化水素を合成するために、直接液化法と比較して技術的に容易であるにもかかわらず、おもに熱効率が低いという理由で大きな開発計画は進められなかった。ただ、非常に安価な石炭を産出し、国際的に孤立した政治条件下にあった南アフリカ共和国においてのみ工業化が可能となり、1955年にSASOL(サソール)社のCTL(coal to liquids=合成液体燃料)がサソルバーグで生産開始された。その後のオイル・ショックが刺激となって、1976年にはセクンダに第二工場の建設を開始するなど生産拡大が進められ、1982年以降、1日当り合成燃料の生産規模は17.5万バレルになった。
西ドイツはオイル・ショック以降、アメリカに次いで直接液化に力を入れ、1981年にエッセン郊外のボットロップに1日の石炭処理量が200トンのパイロット・プラントを完成するなど、新ドイツ法の開発研究を推進した。そのほかオーストラリア、イギリス、フランス、カナダ、中国などが直接液化に熱心であった。
中国では内モンゴル自治区に1日の石炭処理量が6000トン規模の直接液化実証設備が建設(2004~2008年)され、2009年1月に300時間稼動したとの報道があった。その後の詳細な稼動状況は確認されていないが、ともかく中国は世界で唯一石炭の直接液化技術を商業化した国になった。
[上田 成・荒牧寿弘]
日本でも大学、国立研究所、民間で基礎的な研究が続けられていたが、1950年代以降、石炭にとってかわった石油全盛の時代となった。しかし、液化技術が完全に消滅する寸前にオイル・ショックが到来し、1974年(昭和49)に工業技術院(現、産業技術総合研究所)において発足したサンシャイン計画の一環として積極的に研究が推進された。さらに1980年には工業化研究を促進するため新エネルギー総合開発機構(現、新エネルギー・産業技術総合開発機構。略称NEDO(ネド))が設立され、オーストラリア政府の協力のもとにビクトリア州の褐炭を利用する1日の褐炭処理量が50トンのパイロット・プラントがラトローブ・バリーに建設された。さらに1983年からは1日の瀝青炭(れきせいたん)処理量が250トンのパイロット・プラント建設計画も進められたが、150トン規模に縮小されて茨城県鹿嶋(かしま)市に建設された。
石炭液化は第二次世界大戦後の技術開発の流れのなかで、液体燃料のみでなく、石油化学に対抗して化学原料(ケミカルス)の製造法としても着目されてきた。石炭の構造特性を生かして、フェノール、ナフタレン、ピリジンなどの芳香族有機薬品を液化油から分離精製しようとするもので、石炭化学の大きな柱となる可能性を有しており、石炭液化のコストを低減させると同時に、化学技術者の夢にかなった有効な利用法であるといえる。
石炭液化技術開発は技術的にむずかしく、長い期間と膨大な資金を必要とするので、産学官および企業間の協力、さらに国際的な協力によって推し進められてきた。1984年にはそのための新会社、日本コールオイルが設立され、150トン規模パイロット・プラントの運転研究を通じて連続安定操業とスケールアップのためのプロセス設計データを取得するなど、大きな成果を残した。とはいえ、将来の工業化に対しては種々の残された技術的課題の解決を図らねばならず、またそれはエネルギー安定供給の必要性、政策的な判断に左右されると考えられる。
[上田 成・荒牧寿弘]
『木村英雄・藤井修治著『石炭化学と工業』(1977/増補版・1984・三共出版)』▽『真田雄三編著『石炭転換利用技術――石炭液化、液化油の組成構造と物性推算』(1994・アイピーシー)』
固体である石炭を液体燃料に変換する技術をいう。第2次大戦中に,石油資源に恵まれない日本やドイツでは,軍事上の必要から,石炭からガソリンなどの液体燃料を生産する,いわゆる合成石油(人造石油)の技術がかなりの規模で実施された歴史がある。しかし戦後は豊富,低廉な中東産石油の出現によって,石炭液化は経済的に成立しえなくなった。ところが1973年の石油危機以降,石炭液化技術の必要性が再認識されはじめた。この技術は直接液化と間接液化に大別される。
固体である石炭を直接的に液体燃料に変換する方法で,原理によって,(1)低温乾留法(COED法),(2)接触水素化分解法(ベルギウス法,H-Coal法),(3)非接触溶剤抽出法(SRC法,EDS法,ソルボリシス法)の3種類に分類される。
(1)低温乾留法 石炭を比較的低温(400~600℃)で乾留し,得られる低温タールを精製して液体燃料とする方法で,COED(coal oil energy development)法などがあるが,液体製品の収率が低いのが欠点である。
(2)接触水素化分解法 ドイツのF.ベルギウスによって第2次大戦前に開発され,実施された方法(ベルギウス法)で,当時は石炭を微粉化し,石炭の液化油と混合してスラリー状とし,硫化鉄や塩化スズを触媒として加え,水素の共存下に高温(400~500℃),高圧(200~700気圧)下で石炭の水素化分解を行うものであった。歴青炭を原料としても,3.6tの原料から1tのガソリン,軽油,液化石油ガス(LPG)しか得られない。このように効率が低いおもな理由は,反応条件が厳しいこと,そして水素消費量が大きいことであった。したがって,最近の技術開発の目標は反応条件の緩和と水素消費量の低減にある。H-Coal法では,高活性なニッケル-コバルト-モリブデン系触媒を用い,反応条件を緩和するとともに,沸騰床型と呼ばれる反応器に触媒粒子を充てんし,活性を失った触媒の連続抜出しと再生,循環を行っている。
(3)非接触溶剤抽出法 触媒を用いず,石炭の熱分解反応を水素供与性の溶剤の共存下で行うものである。すなわち石炭の構造中には比較的弱い化学結合があり,400~450℃の温度でかなり速やかに解離反応が起こりうる。この分解反応によって生じた遊離基(ラジカル)に溶剤から水素が供与され,安定化すれば液化反応が実現される。SRC(solvent refined coal)法は元来は石炭中の灰分の除去を主目的とし,溶剤精製炭(固型)を得る方法であったが,反応条件をやや厳しくすることにより,原油に相当する液化油を生産する方向に改良された。EDS(Exxon donor solvent)法とソルボリシス法はいずれも原理的にはSRC法と類似であるが,ソルボリシス法は石油系アスファルトを溶剤として用いるもので,日本で着想された技術である。
石炭をひとまずガス化して一酸化炭素と水素からなる合成ガスに変換したのち,触媒上で反応を行わせて,炭化水素油を合成する方法である。1920年代の初期にドイツのF.フィッシャーとH.トロプシュによってこの原理が発見されたのでフィッシャー=トロプシュ法(F-T法)あるいは単にフィッシャー法と呼ばれる(フィッシャー合成)。この方法は現在も南アフリカ共和国のサゾール社で工業的規模において実施されているが,生産される液体燃料は主としてパラフィン炭化水素で,ディーゼル軽油としては好適であるが,ガソリン留分はそのままではオクタン価が低い欠点がある。そこで,合成ガスからひとまずメタノールを製造し,メタノールから高オクタン価ガソリンを生産するMTG法が1970年代に開発された。メタノールからガソリンへの変換工程にはZSM-5と呼ばれる特別な合成ゼオライト(沸石)が用いられる。この方法の弱点は合成ガスから2段階の工程を必要とすることにあり,したがって1段階でガソリンの合成反応が実現できるよう,工夫が試みられている。
石炭の直接液化法,間接液化法による石油代替燃料の生産は,いずれも経済的,技術的に確実な技術として定着し,普及するためには,石油価格の動向にもよるが,なお年月が必要である。
執筆者:冨永 博夫
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報
石炭を高圧の水素中で加熱して燃料油を得る方法.石炭ガス化で生成する合成ガスを原料とする間接液化と区別し,直接液化ともいう.原料には,褐炭,亜歴青炭,歴青炭を用いる.430~470 ℃,10~30 MPa において,溶剤と触媒(おもに鉄,コバルト,モリブデンなどの硫化物)の存在下,石炭の水素化分解を行う.生成物を液化油とよぶ.石油精製で得られる燃料油と同等の品質にするためには,さらに液化油の水素化などの品質向上工程が必要である.さまざまな液化法が開発研究されてきたが,実用化には至っていない.わが国では,オーストラリア褐炭の液化プロジェクトが1981年から約10年間実施され,さらに,歴青炭の実験規模の液化プラントが1991年から5年間運転されたにとどまっている.
出典 森北出版「化学辞典(第2版)」化学辞典 第2版について 情報
(槌屋治紀 システム技術研究所所長 / 2007年)
出典 (株)朝日新聞出版発行「知恵蔵」知恵蔵について 情報
…オイルサンド,オイルシェール,石炭などを原料として生産される合成液体燃料であるが,とくに石炭の液化によるものを指すことが多い。第2次大戦の戦前から戦中にかけて,石油資源に乏しいドイツ,日本などでは,軍事上の目的から石炭液化の技術開発を熱心に進めた歴史がある。戦後の中東における豊富な石油資源の開発によって,合成石油事業は経済的には成立しがたくなったが,1970年代の石油危機以降,研究開発が再開された。…
…また,石炭をいったんガス化して水素と一酸化炭素をつくり,これを原料ガスとして液体を合成する方法もある。石炭液化の着想は1869年にさかのぼるといわれるが,工業化の基礎ができたのは第1次大戦後の1920年代で,それから第2次大戦にかけて,石炭資源は豊富だが石油に乏しいドイツが,石炭から内燃機関用の液体燃料をつくることにひじょうに力を入れた。第2次大戦中には,約20の工場でガソリン年産約500万tの規模に達した。…
※「石炭液化」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
宇宙事業会社スペースワンが開発した小型ロケット。固体燃料の3段式で、宇宙航空研究開発機構(JAXA)が開発を進めるイプシロンSよりもさらに小さい。スペースワンは契約から打ち上げまでの期間で世界最短を...
12/17 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新
11/21 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新
10/29 小学館の図鑑NEO[新版]動物を追加
10/22 デジタル大辞泉を更新
10/22 デジタル大辞泉プラスを更新