犬見村(読み)いぬみむら

日本歴史地名大系 「犬見村」の解説

犬見村
いぬみむら

[現在地名]大河内町長谷はせ

為信ためのぶ村の北西いち川と支流犬見川の合流点に位置し、村の北方盥石たらいし山がある。市川右岸に現神崎かんざき中村なかむら法楽ほうらく寺の義犬伝説にまつわる犬塚がある。義犬の一頭が当地に来て死んだため里人が塚を築いて祀ったと伝え、地名の由来になったともいわれる。無年紀ではあるが宝篋印塔が残る。慶長国絵図に村名がみえ、「犬井ノ内」とも記される。領主の変遷は寺前てらまえ村と同じ。正保郷帳では田方二三〇石余・畑方六八石余、「はへ少有・水損所」と注記される。天保郷帳では高三五〇石余。寛政二年(一七九〇)凶作飢饉に陥り、夫食米一四〇俵を下付された(「庄屋日記」大中家文書)。文化六年(一八〇九)犬見銅山が稼行され、銀・銅を産出した(「諸国銅山見分控」住友史料叢書)


犬見村
いぬみむら

[現在地名]大飯町犬見

大島おおしま半島の西南端にあり、南は青戸あおと入江に面し、北は和田わだ(四七八・三メートル)を背負い、三方を山に囲まれた山裾斜面に位置する。中央を犬見川が流れ、河口漁港としても利用された。「若狭郡県志」に「犬見村属加斗庄、去小浜海路三里余也」とあるが、地理的に和田わだ(現高浜町)に隣接するので中世和田庄に属したとも考えられる。慶長七年(一六〇二)の若狭国浦々漁師船等取調帳(桑村家文書)に「犬見」として船八艘が記され、水主一人につき一ヵ年三匁の櫂役銀が課された。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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