玉乗り(読み)タマノリ

デジタル大辞泉 「玉乗り」の意味・読み・例文・類語

たま‐のり【玉乗り/球乗り】

曲芸の一。大きな玉の上に乗り、足で転がしながら種々の芸を演じるもの。また、その人。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「玉乗り」の意味・わかりやすい解説

玉乗り
たまのり

曲芸の1種。大きな玉に乗って曲芸を演じるもの。中国の散楽には「踏毬戯 (とうきゅうぎ) 」という玉乗りがあった。日本では元治1 (1864) 年外人曲馬団横浜で演じたのがその初め。日本人では,1883年西洋帰りの軽業師 (かるわざし) 2世山本小島太夫が大阪千日前興行したのが最初。翌年東京の江川作蔵 (造) がこれを横浜に呼んで興行し,瓶渡り,輪抜け,踏板などで評判を呼んだ。のちに浅草公園に移り,10歳前後の少年少女に,橋弁慶鞍馬天狗道成寺などを玉の上で演じさせ,「江川の玉乗り」として知られた。関東大震災 (1923) 以後は玉乗りを専門とする座はなくなっている。現在では,サーカス一座でみられるほか,オットセイ,サルなどの玉乗りも工夫されている。

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改訂新版 世界大百科事典 「玉乗り」の意味・わかりやすい解説

玉乗り (たまのり)

曲芸の一種。大きな玉に乗って種々の曲芸を演じるもの。古くは散楽(さんがく)の中にその名が見えるが,当時日本に伝承されたかどうか不明。1864年(元治1)横浜で外国人による曲馬団の興行があり,演目の中に,玉に乗りながら剣を手玉に取る芸があった。これが日本で最初のものと思われる。日本人では1883年大阪で2代目山本小島太夫が演じた玉乗りが最も早く,続いて翌84年,東京の江川作蔵が横浜で興行して評判をとった。江川玉乗り一座は,関東大震災前まで東京浅草六区の大盛館で興行を続け有名だった。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「玉乗り」の意味・わかりやすい解説

玉乗り
たまのり

大きな玉に乗って、その玉を回転させながら曲芸を演じるもの。奈良時代の散楽雑伎(さんがくざつぎ)中に踏毬戯(とうきゅうぎ)の名がみえるが、実際に日本に渡来していたかどうかは不明。1864年(元治1)3月に横浜で興行された西洋の「中天竺舶来軽業(ちゅうてんじくはくらいかるわざ)」に玉乗りがあった。日本人では、1883年(明治16)ヨーロッパ巡遊から帰った大阪・千日前の軽業師山本小島太夫が初めて演じ、翌年東京の江川作蔵がこれを横浜に招いて評判をとった。のち浅草公園に移り、「江川の玉乗り」として知られ、関東大震災まで浅草六区の大盛館で興行されていた。今日でもサーカスの演目にみられる。

織田紘二]


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世界大百科事典(旧版)内の玉乗りの言及

【曲芸】より

…幕末の1850年代がこの芸能の全盛期で,〈曲乗り〉〈力持(ちからもち)〉〈曲持(きよくもち)〉〈曲独楽(きよくごま)〉などの離れわざは見物人を驚かせた。〈曲乗り〉では〈玉乗り〉が有名で,東京では関東大震災前まで江川玉乗一座が浅草で興行していた。〈力持〉は,100貫目(375kg)以上もある大石を持ち上げたり,その石でろうそくの火をあおいで消したりしたといい,女太夫の力持ちも出現した。…

※「玉乗り」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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