玉島湊(読み)たましまみなと

日本歴史地名大系 「玉島湊」の解説

玉島湊
たましまみなと

西高梁にしたかはし河口右岸に発達し、高瀬舟による河川水運と瀬戸内水運の接点として栄えた。寛永二〇年(一六四三)の玉島湊問屋株定書(守屋文書)に「乙嶋之内玉嶋湊」とあり、乙島おとしま村の西岸を玉島湊と称していた。寛永一六年には湊問屋一二軒による問屋稼が認められ、同定書には航行する舟と沿岸諸村がひそかに売買することを禁じるなど一二ヵ条が記される。備中松山藩主水谷氏の西高梁川流域の新田開発によって万治二年(一六五九)乙島村の西に玉島新田が完成し、堤防に平行して船穂ふなお(現浅口郡船穂町)からの高瀬通たかせどおしが貫通して高梁川と玉島湊が結ばれた。玉島新田の海に面した西側堤防上には問屋街が形成され、備中松山まつやま(現高梁市)の外港として整備された。

寛文一〇年(一六七〇)玉島新田の西に阿賀崎あがさき新田が完成、東南部の堤防上に屋敷割がなされ商人たちが誘致され、新町が形成された。以後、玉島新田からしだいに湊町の中心が同町に移っていく。寛保二年(一七四二)の水尾浚銀拝借願(玉島資料)などによると開発は七〇年以前とあり、寛文末の開港を伝える。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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