玉泉院(読み)ぎよくせんいん

日本歴史地名大系 「玉泉院」の解説

玉泉院
ぎよくせんいん

[現在地名]岡山市円山

天台宗、天台てんだい寺と号し、本尊薬師如来。元禄一一年(一六九八)曹源そうげん寺建立時に境内の南東隅に同寺塔頭として創建され、同寺領のうちから一〇石を付与された(「池田家履歴略記」池田家文庫)開山上賀茂かみかも(現御津郡加茂川町)出身の承応。本堂円城えんじよう(現同上)の天台宗円城寺の塔頭東楽坊を移し、庫裏小森こもり(現同上)の円城寺末普一ふいつ院を移したところから、創建当時は普一院と号していた(「分限改書」寺蔵)。元禄一三年寺領は二〇石に加増となり、宝永二年(一七〇五)五間半四面の不動堂を建立し、曹源寺開基の池田綱政のため祈祷が行われた。同五年になって綱政が岡山城内の石山津高つだか江与味えよみ(現久米郡旭町)にあった円城寺末の玉泉寺を移し、金剛山常住寺円務院と改号して再興したとき、不動堂は同院に移築された(前掲略記)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「玉泉院」の解説

玉泉院 ぎょくせんいん

1574-1623 織豊-江戸時代前期,前田利長(としなが)の正室
天正(てんしょう)2年生まれ。織田信長の4女。天正(てんしょう)9年前田利家(としいえ)の嫡男利長(2代金沢藩主)と結婚元和(げんな)9年2月24日死去。50歳。名は永。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

今日のキーワード

焦土作戦

敵対的買収に対する防衛策のひとつ。買収対象となった企業が、重要な資産や事業部門を手放し、買収者にとっての成果を事前に減じ、魅力を失わせる方法である。侵入してきた外敵に武器や食料を与えないように、事前に...

焦土作戦の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android