円山村(読み)まるやまむら

日本歴史地名大系 「円山村」の解説

円山村
まるやまむら

[現在地名]中央区大通西おおどおりにし二〇―二八丁目・南一条西みなみいちじようにし二〇―二八丁目・南二条西みなみにじようにし二〇―二八丁目・南三条西みなみさんじようにし二〇―二八丁目・南四条西みなみよじようにし二〇―二八丁目・南五条西みなみごじようにし二〇―二八丁目・南六条西みなみろくじようにし二〇―二七丁目・南七条西みなみななじようにし二〇―二七丁目・南八条西みなみはちじようにし二〇―二六丁目・南九条西みなみくじようにし二〇―二三丁目・南十条西みなみじゆうじようにし二〇―二三丁目・南十一条西みなみじゆういちじようにし二〇―二三丁目・円山まるやま円山西町まるやまにしまち・円山西町一―一〇丁目・宮ヶ丘みやがおか・宮ヶ丘一―三丁目・双子山ふたごやま一―四丁目・旭ヶ丘あさひがおか一―六丁目・堺川さかいがわ一―四丁目・北一条西きたいちじようにし二二―二八丁目・北二条西きたにじようにし二二―二八丁目・北三条西きたさんじようにし二二―三〇丁目・北四条西きたよじようにし二二―三〇丁目・北五条西きたごじようにし二二―二九丁目・北六条西きたろくじようにし二二―二八丁目・北七条西きたななじようにし二二―二七丁目・北八条西きたはちじようにし二二―二六丁目・北九条西きたくじようにし二二―二四丁目・北十条西きたじゆうじようにし二二―二四丁目など

明治四年(一八七一)から同三九年までの村。


円山村
まるやまむら

[現在地名]輪島市町野町北円山まちのまちきたまるやま

佐野さの村の南、町野川右岸に位置。東は長尾なご(現柳田村)。地内には徳成谷内とくなりやち村の飛地法師丸ほうしまるがあった。村名は集落の北東にある城跡(年代・城主未詳)とされる円形の山にちなむという。天文一〇年(一五四一)一二月二四日、中村の山崎弥太郎によって「円山」の名千代が銭八〇〇文で時国衛門太郎に売渡されている(「女売渡状」上時国家文書)


円山村
まるやまむら

[現在地名]生野町円山

口銀屋くちがなや町の北に位置し、円山川が流れる。丸山まるやまとも。但馬街道筋で、「但州湯嶋道中独案内」では生野峠を過ぎて「こだわ」「円山」と記される。枝村に内尾谷うちおだに小田和こだわがある。正保(一六四四―四八)頃成立の国絵図に村名がみえ、高一八五石余。宝暦七年(一七五七)の但馬国高一紙では高二九七石余とあり、別に高一七石余の谷田蒲(コダワの訓を付す)が記される。享和二年(一八〇二)に当地を通行した記録菱屋平七長崎紀行(京都大学文学部蔵)に「こたわ村、人家十軒計リ、茶屋多くして茶屋ごとに土用餅とて砂糖餅を売る」とあり、さらに一四、五町くだって「人家二十軒計、茶屋なし」という円山村を通過している。


円山村
まるやまむら

[現在地名]岡山市円山

福吉ふくよし新田の西にあり、みさお山から笠井かさい山へ連なる山地の中間南麓、倉安くらやす川北方山寄りに集落がある(備前記)。慶長一〇年(一六〇五)備前国高物成帳(備陽記)はた郷に村名があり、寛永備前国絵図では高四六八石余。正保郷帳には日損中と注記がある。「備前記」は枝村に岩坪をあげる。「備陽記」によると田畑二七町二反余、家数七四・人数四七四、池七。


円山村
まるやまむら

[現在地名]門前町西円山にしまるやま

浦上うらかみ村の北に位置し、山間地に立地。正保郷帳では高九五石余、田方二町四反余・畑方三町九反余。承応三年(一六五四)の村御印では同高、免三ツ三歩(能登奥両郡収納帳)。寛文一〇年(一六七〇)の村御印の高一〇一石、免四ツ四歩、小物成は山役二四匁・漆役三匁、鳥役一匁(出来)、蝋役一匁(三箇国高物成帳)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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