玉縄城跡(読み)たまなわじようあと

日本歴史地名大系 「玉縄城跡」の解説

玉縄城跡
たまなわじようあと

大船おおふな駅の西北方、竜宝りゆうほう寺近くにある戦国時代の典型的な山城。標高は最高が八〇メートル、平均五〇メートルの丘陵を占地し、東側を柏尾かしお川が流れる。中心は城廻しろめぐりで、植木うえき打越うちこし関谷せきやに及び、横浜市戸塚とつか区の長尾台ながおだい、藤沢市の渡内わたうち高谷たかや大鋸だいぎり支城があったと考えられている。「異本小田原記」が「此城、当国無双の名城なり」というように、堅固な城郭であったが、現在は本丸跡に清泉女学院が建ち、支城の周囲も宅地化されて変貌した。遠望される姿と諏訪壇とよばれる物見の丘やわずかな空堀・七曲などに山城跡の痕跡をとどめている。諏訪壇跡には玉縄城の守護社で現在七曲下に移されている諏訪神社が祀られていた。

永正九年(一五一二)一〇月、北条早雲が三浦半島の攻略と関東支配の拠点として築城(小田原北条系図など)、前後五回に及ぶ戦歴で一度も落城しなかった。


玉縄城跡
たまなわじようあと

[現在地名]金山町川口

川口かわぐちの西に屹立する通称ボンデン山(烏山、四八四メートル)に築かれた複郭式の山城で、横田よこたの山内氏の支族川口俊甫の居城からす山の山頂と尾根筋に築かれ、本丸・二の丸・空堀・堀切・帯郭・腰郭・土塁・段切等の遺構がみられる。三方只見ただみ川と野尻のじり川に挟まれた岩山で東西の幅は狭いが南北に連山をもち、それぞれ山頂部には出城が築かれ、家臣団を配備していた。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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