日本大百科全書(ニッポニカ) 「玉蘂」の意味・わかりやすい解説
玉蘂
ぎょくずい
『光明峯寺禅閤記(こうみょうぶじぜんこうき)』ともいう。九条(くじょう)(藤原)道家(みちいえ)の日記。書名は道家の祖父兼実(かねざね)の日記『玉葉(ぎょくよう)』にちなむ。原本は伝わらず、1209年(承元3)から38年(暦仁1)までの断続的な記事が写本によって知られる。この間、道家は仲恭(ちゅうきょう)天皇の摂政(せっしょう)、後堀河(ごほりかわ)天皇の関白(かんぱく)、四条(しじょう)天皇の摂政を務め、また三男頼経(よりつね)が将軍となり、関東との交渉も密接であったが、記事の多くは儀礼に関するもので、詳細な記載にもかかわらず、政界の裏面の事情をうかがわせるものはほとんどない。刊本は今川文雄校訂により、思文閣出版から出されている。
[田中博美]
『星野恒著『歴世記録考』(『史学叢説 第一集』1909・冨山房)』