王建(朝鮮)(読み)おうけん

日本大百科全書(ニッポニカ) 「王建(朝鮮)」の意味・わかりやすい解説

王建(朝鮮)
おうけん
(877―943)

朝鮮高麗(こうらい)王朝の創始者(在位918~943)。廟号(びょうごう)は太祖祖先については確かなことは不明であるが、松岳(開城)地方に一定の勢力基盤をもち、海上貿易にも関係していた家系らしい。新羅(しらぎ)末期、反乱軍の一首領弓裔(きゅうえい)の勢力が鉄円(鉄原)地方を中心に拡大すると、896年に帰順してその部下となった。弓裔の部将としての王建は早くから軍事的才能を発揮したが、とくに水軍活動において目覚ましく、後三国(こうさんごく)期に弓裔が西南海の海上権を掌握できたのは、もっぱら王建の功績によるものであった。909年に海軍大将軍となり、913年には侍中(首相)となった。専制君主弓裔が暴君と化するや、918年弓裔を放逐した諸将推戴(すいたい)を受けて王位につき、国号を高麗と称し、自己の本拠地である開城を都と定めた。弓裔にとってかわった太祖は、900年甄萱(しんけん、あるいは、けんけん)によって建てられた後百済(ごひゃくさい)との武力抗争を継続する一方、親新羅政策をとった。新羅の伝統と権威の継承者としての地位を手に入れようとしたのであるが、これは935年、新羅最後の王である敬順王が高麗に降伏することによって実現された。後百済との武力抗争は、930年の古昌(こしょう)(安東)での戦闘契機にして高麗側に有利となり、後百済側の内紛もあって、936年ついに高麗が後三国の分裂を収め朝鮮を統一した。しかし、統一後も地方の豪族は以前と少しも変わらない半独立状態を維持しており、彼らをどのように高麗国家の内部に取り込むかということが太祖および以後の諸王の課題となった。

浜中 昇]


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