日本大百科全書(ニッポニカ) 「理研コンツェルン」の意味・わかりやすい解説
理研コンツェルン
りけんこんつぇるん
昭和初年に台頭した新興財閥の一つ。財団法人理化学研究所(1917設立)の3代目所長に就任した大河内正敏(おおこうちまさとし)が、研究所の発明・発見の工業化と、それを通じての研究資金の獲得を目的として1927年(昭和2)理化学興業を設立したのが発端。以後、理化学興業は大河内の「科学主義工業論」「いもづる式経営法」などのユニークな経営理念の下に理化学研究所の特許を次々に企業化し、最盛時には会社数62、工場121、その公称資本金総額1億5000万円の規模の企業集団を形成、新興財閥の一つに数えられた。だが、傘下企業数こそ多かったが、その一つ一つは小規模企業であり、しかも資金力が脆弱(ぜいじゃく)であったため、戦時統制の進展のなかでその支配権を日本興業銀行(現みずほ銀行、みずほコーポレート銀行)を中心とするシンジケート団に握られ、コンツェルンとしての実体を喪失した。現存する理研系企業としてはリケン、リコー、リコーエレメックスなどがある。
[宇田川勝]
『大河内記念会編『大河内正敏、人とその事業』(1954・日刊工業新聞社)』▽『斎藤憲著『新興コンツェルン理研の研究』(1987・時潮社)』