機械工学者、実業家。明治11年12月6日、旧大多喜藩(おおたきはん)(千葉県大多喜町)の藩主大河内正質(まさただ)(1844―1901)の長男として東京に生まれる。第一高等学校に学び、1903年(明治36)東京帝国大学工科大学造兵学科を卒業、同大学講師、助教授(海運技師兼任)を経て、1908年10月からドイツ、オーストリアに私費留学ののち、1911年東京帝国大学教授に就任した。火兵学会を創設し、火砲構造や砲外弾道学を研究し、1913年(大正2)工学博士の学位を得た。その後、貴族院議員に選出され、1921年財団法人理化学研究所(理研)の第3代の所長に就任、1927年(昭和2)には理化学興業株式会社を興し、会長となった。さらに1942年産業機械統制会会長をはじめ、研究動員会議会員、技術院参与、軍需省顧問などを務めたが、1945年(昭和20)戦犯容疑で東京の巣鴨拘置所(すがもこうちしょ)に収容され、翌1946年出所、公職追放となり、理研所長を辞任した。
理研所長時代、研究所の組織を改革し、各研究室を独立させ、主任研究員にテーマ、予算、人事を一任し、研究費も自由に使わせた。また理研コンツェルンにおいて、研究成果を、たとえば合成酒(利久酒)、ビタミンA(理研ビタミン)などの形で商品化して研究所の資金を獲得し、財政を確立、数多くの世界的な研究業績を生み出した。こうした活動の背景として、1935年ごろから「科学主義工業」という思想を掲げ、日本資本主義の性格からくる技術的基礎の脆弱(ぜいじゃく)な面を批判し、東北農村の冷害や昭和恐慌による農村の疲弊を救済する「農工両全主義」を唱えた。これらは一定の体制批判もあり、当時の知識人たちに強い影響を与えたが、結局、資本主義に対置された科学主義は経済体制の変革につながるものではなく、農村の救済も安い労働力と封建的な人間関係を利用した工学中心のものであった。これらの主張は結果的に戦時経済体制下で、科学技術動員の役割を果たすものとなった。1933年ピストンリングの製法の発明など工学部門での優れた業績もあり、彼を記念して1955年大河内賞が制定された。主要著書に『農村の工業』『資本主義工業と科学主義工業』がある。
[井原 聰]
大正・昭和期の応用化学者,実業家 理研コンツェルン創始者;理化学研究所所長;貴院議員。
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大正・昭和期の科学者,実業家。千葉県の旧大多喜藩主の家に生まれ,東京帝国大学工科造兵学科を卒業。母校の教授となったが,1921年理化学研究所の所長に就任した。同研究所は27年みずからの所有する特許を企業化するために理化学興業を設立し,その後も特許にもとづく企業の設立が相次ぎ,機械・金属・化学工業を中心とするいわゆる理研コンツェルンが形成されるが,大河内は46年まで所長としてその指導にあたった。彼は科学的技術研究に立脚して高能率低コストと良品廉価を目ざし,有機的連関にもとづく芋づる式多角経営を展開する〈科学主義工業〉を提唱するとともに,作業方法を単純細分化して農村の不熟練労働力を活用する農村工業の必要性を主張するなど,合理主義的工業経営の理念を追求した。
執筆者:中村 青志
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1878.12.6~1952.8.29
大正・昭和期の科学者・実業家。正質(まさただ)の長男。東京都出身。東大卒。1911年(明治44)東京帝国大学教授となり,造兵学の近代化に努めた。15年(大正4)貴族院議員。21年理化学研究所所長に就任,財政難に苦しむ研究所のため,同所の発明を工業化する理研コンツェルンを創立,150人余の博士を輩出した。46年公職追放で所長を辞任。
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…こうして,学界はじめ各界の大きな期待を担って発足した理研ではあったが,第1次大戦後の経済不況のために,財界からの寄付金が予定通り集まらず,設立後数年を経ずして財政的に行き詰まってしまった。財政危機に直面した第3代所長大河内正敏は,主任研究員にテーマ・予算・人事などについて大幅な自由裁量を認める〈研究室制度〉を導入して,研究の活性化を図る一方で,〈科学主義工業〉の理念を掲げて,理研における研究成果の工業化・商品化によって財政基盤の強化に努めた。そのため,理研の発明・特許を利用した医薬品(ビタミン剤など),食料品(合成酒など)および機械類を製造販売する企業が次々と設立された。…
※「大河内正敏」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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