日本歴史地名大系 「瑚寺」の解説 瑚寺さんごじ 群馬県:勢多郡富士見村石井村瑚寺[現在地名]富士見村石井 八幡石井山三光院珊瑚寺といい、天台宗、本尊阿弥陀如来。古名を三錮(さんご)寺といい、大同元年(八〇六)僧勝道が草創、華厳宗であったと伝える(富士見村誌)。正治年間(一一九九―一二〇一)梶原景時の一族の者が尼となって堂を建て、源頼朝および景時父子の霊を慰めたという。その後退転したが、永享年代(一四二九―四一)の末頃長尾景仲が、この地が古跡地であることを知り私材を投じて堂宇を整え、僧月江(双林寺の開祖)を住まわせた。これより門徒が相次いで住み、およそ三〇年間禅門の風を唱えたが、これらの僧はいずれも他の寺へ移住したので荒果てた。 瑚寺さんごうじ 三重県:多気郡多気町五桂村瑚寺[現在地名]多気町五桂五桂(ごかつら)集落の南中央部にある。山号宝樹山(宝珠山)。浄土宗。本尊十一面観音像。境内約六〇〇坪。寺伝によれば延暦一七年(七九八)僧勤操が光渡(こうど)山に創建し、初め真言宗であったが大永六年(一五二六)現在地に移され、天正二年(一五七四)射和(いざわ)村(現松阪市)の浄土宗延命(えんめい)寺末となったという。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by