田丸卓郎(読み)たまるたくろう

日本大百科全書(ニッポニカ) 「田丸卓郎」の意味・わかりやすい解説

田丸卓郎
たまるたくろう
(1872―1932)

物理学者ローマ字論者。岩手県の生まれ。第一高等学校を経て、1895年(明治28)帝国大学理科大学(現、東京大学理学部)物理学科を卒業。第五高等学校、京都帝国大学助教授ののち1900年(明治33)母校の助教授、1907年同大学理学部理論物理学第二講座教授となる。この間、1901~1905年ドイツのハイデルベルク大学留学。1916年(大正5)東京帝国大学航空学調査会委員、1923年航空研究所長事務取扱などを歴任本多光太郎(ほんだこうたろう)らと中等教育用物理用語の審議にもあたった。航空計測器機の分野で業績が多い。X線知識の普及とともに千里眼のようなオカルト的詐術が流行したときには、物理学者としてどうあるべきか、実験とはどうあるべきかを論じ、厳しい批判を行った。先輩の田中館愛橘(たなかだてあいきつ)らと日本式ローマ字運動のリーダーとして活躍、「分かち書き」を確立した。

井原 聰 2018年10月19日]

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20世紀日本人名事典 「田丸卓郎」の解説

田丸 卓郎
タマル タクロウ

明治・大正期の物理学者,ローマ字論者 東京帝国大学教授。



生年
明治5年9月29日(1872年)

没年
昭和7(1932)年9月22日

出生地
岩手県

学歴〔年〕
東京帝大理科大学物理学科〔明治28年〕卒

学位〔年〕
理学博士〔明治39年〕

経歴
五高、京都帝大理工科大学助教授を経て、明治33年東京帝大理科大学助教授となる。34〜38年ドイツのハイデルベルク大学に留学し、40年東京帝大理学部教授に就任飛行機の計器関係に業績があり、本多光太郎らと中等教育用物理用語の審議にもあたった。大正5年航空学調査会委員、10年航空評議会評議員、12年航空研究所長事務取扱を歴任。また、明治38年頃からローマ字論者となり、39年「日本式羅馬字」を発表、42年田中館愛橘らと日本のローマ字社を設立し、日本式ローマ字運動を推進した。昭和5年文部省臨時ローマ字調査会委員となり、ローマ字綴り方統一に尽力主著に「ローマ字国字論」「ローマ字文の研究」「RIKIGAKU」全2巻など。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「田丸卓郎」の解説

田丸卓郎 たまる-たくろう

1872-1932 明治-昭和時代前期の物理学者。
明治5年9月25日生まれ。田丸節郎の兄。京都帝大助教授などをへて明治40年東京帝大教授,大正12年同大航空研究所長事務取扱。熱心なローマ字論者で,田中館愛橘(たなかだて-あいきつ)と日本のローマ字社を設立した。昭和7年9月22日死去。61歳。岩手県出身。帝国大学卒。著作に「力学」「ローマ字国字論」など。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

367日誕生日大事典 「田丸卓郎」の解説

田丸 卓郎 (たまる たくろう)

生年月日:1872年9月29日
明治時代;大正時代の物理学者。東京帝国大学教授
1932年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内の田丸卓郎の言及

【寺田寅彦】より

…幼時を父の郷里の高知ですごす。五高在学中に田丸卓郎(1872‐1932)によって自然科学への眼を開かれる。1903年東京帝国大学理科大学卒業。…

※「田丸卓郎」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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