田口庄(読み)たぐちのしよう

日本歴史地名大系 「田口庄」の解説

田口庄
たぐちのしよう

興福寺大乗院領荘園。三箇院家抄(内閣文庫蔵大乗院文書)に「宇多郡」として

<資料は省略されています>

とある。これによると、本家を大乗院とすれば、北円堂が領家であろう。公方は大乗院門主と考えられる。現菟田野うたの町大字芳野ほうのの在地武士、興福寺国民芳野氏の知行下にあった。また近年の関料の記載がみられるが、最初のそれは田口関のものであろう。田口関・黒岩くろいわ関・諸木野もろきの関は、ともに当時の伊勢街道筋に設けられたものである。


田口庄
たぐちのしよう

緑川中流域の左岸、現甲佐町大字田口を中心に存在した太宰府天満宮安楽寺領荘園。天徳年間(九五七―九六一)勧請、延久四年(一〇七二)に菊池則隆が再興という伝承をもつ村内の田口天満宮は庄鎮守と考えられる。観応三年(一三五二)二月書写の奥書をもつ天満宮安楽寺領目録(太宰府神社文書)の肥後国の項に一一ヵ所があげられ、半不輸の一つとして田口庄別符がみえる。この一一ヵ所はすべて「当宮根本御領地頭御家人甲乙輩令押領所」であり、「凶徒押領之」とされている。この目録は足利直冬が少弐頼尚とともに大宰府を制圧している段階のもので、凶徒とは菊池氏ら南朝方の勢力を意味する。


田口庄
たぐちのしよう

興福寺雑役免田。延久二年(一〇七〇)の興福寺雑役免帳の吉野郡に「田口庄九町四段百廿歩 不輸免田六町 公田畠三町四段百廿歩」とある。不輸免田は灯油免田であり、その条里(括弧内は坪数)は三宅里(一)、一条田口谷(一六)である。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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